みんなのひろば


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表題) いろいろあるとは思いますが update)2021'04'26'13:50
お名前)小澤良造 性別)男性 年齢)60代 ご職業)無職 エリア)
メッセージ)
 3回目の緊急事態宣言に対して、無観客の要請は「政権側からの一方的な」の感は否めませんが、それでも青年劇場が熟慮の末に為したであろうこの対応を支持します。これまで、一人の人間の尊厳を守ることや社会の平和を志向する芝居を打ってきた劇団が、政権への批判を胸に秘め、ひとつの無名の命を守るために丹田にグッと息を溜めて堪えていることに敬意を表します。私は、青年劇場の世間知に傾かないひたむきな青臭さを好ましく思っています。
 コロナ後には、もっともっと辛辣な批判意識を具現化した芝居を見せていただきたく期待いたします。
 今回の文殊さん、私は会員になっていますが、ライブ配信を見せていただければそれでよしとします。しかし、本音を言えば、前回のライブ配信を見ても、やはり芝居は生で舞台からドーランの匂いが漂ってくる中で見たいと思ったものです。映画より芝居が好きな私の呟きです。
 では、劇団の皆さまくれぐれも御自愛ください。

表題) 「あの夏の絵」とレモンケーキ update)2021'03'26'04:34
お名前)山名 淳 性別)男性 年齢) ご職業) エリア)
メッセージ)
 青年劇場の演劇「あの夏の絵」を、数年前から毎年、鑑賞させていただいている。舞台では、原爆の被爆体験者である白井勝利さんが、三人の高校性、恵、ナナ、アツトに対して自らの体験を語る。三人は、白井さんの証言を絵画のかたちで表現しがたいことに苦悶し、白井さんに問いかける。高校生たちは白井さんとの打ち合わせ会を重ねつつ、「原爆の絵」を仕上げていく。美術部の顧問である岡田先生が、その過程をやさしく見守っている。
 「あの夏の絵」における最後の場面(シーン12)。絵画制作期間の途中で体調を崩していた白井さんも退院を果たし、できあがった絵画を観るために高校の美術室にやってくるそこで、次のような会話が交わされる。

  ナナ 白井さん、退院おめでとうございます。
  恵・アツト おめでとうございます。
  ナナ あ、レモンケーキだ!
  岡田 すみません、お祝いはこちらで用意しなくてはならないのに。
  白井 いやいや、絵を描いてくださったのが最大のお祝いですよ。
  (福山啓子「戯曲 あの夏の絵」全日本リアリズム演劇会議編『演劇会議』第一五四号、二〇一七年、六九頁)

 このレモンケーキ、白井さんから差し入れられたのは、実はこれが二回目である。それよりも前の場面(シーン8)で、次のようなシーンが描かれている。

  恵・ナナ・アツト いただきまーす。
  アツト うめえ。
  ナナ おいしーい。
  白井 そうかい。そりゃ良かった。うちの近所のケーキ屋さんのなんじゃが。
  (同上、六二頁)

 舞台では、恵が、ナナが、そしてアツトが、いかにも美味しそうにこのケーキを頬ばる(ように役者さんたちが演技する)。うらやましい。私も食べてみたい。どこのケーキ屋さんだろう。幸運なことに、ナナが「どこですか」と尋ねてくれている。白井さんは、宇品にそのお店があると答えている。なんと、私が学生時代に住んでいた地域ではないか。宇品は、広島市の南区にある。瀬戸内海に近い場所だ。でも、宇品のいったいどこにあるのだろうか、このケーキ屋さんは。

 実は、先日ひょんなことで、私はこのケーキ屋さんをみつけてしまった。三〇年以上前に住んでいた場所をふと訪れてみたいと思い立ち、広島出張時、アフターファイブの時間帯に、その場所を訪れてみた。当時住んでいた古い一軒家はすでになかったが、そこから目と鼻の先にあるお好み焼き屋さんがまだ営業を続けていて、嬉しくなった。当時、私は毎週三回くらい、その暖簾をくぐって、「おばちゃん」がつくる肉玉そばに舌鼓を打っていた。再訪して、その肉玉そばを注文し、鉄板の上で金属のへらを使って切り崩しながら、その懐かしい味を楽しんだ。これまでずっと一人でこのお店を切り盛りしてきたおばちゃんと旧交を温めた。この話、それはそれで長くなりそうなので、ここではやめておく。

 私が住んでいた場所は、広島を縦横に走る路面電車の停留所「宇品四丁目」を降りて歩いておよそ5分程度のところにあった。再訪の際、電車を降りてから元下宿の方に向かって歩いて一、二分くらい経った頃だっただろうか。道路沿いをそれとなく眺めていると、主張をしない控えめなファサードの洋菓子屋さんがあることに気がついた。客が三人も入れば満杯にならんばかりの、小さなお店だ。店頭には、「地域に愛されて五五年 レモンケーキとカステラのお店」という広告が貼られている。もしやと思って中に入ってみると、店に黄色と銀色のかわいい包装袋にくるまれたレモンケーキがきれいにいくつも並んでいた。

 レモンケーキを買った。八〇歳は超えていらっしゃるとおぼしき店主の男性に、つかぬことをおうかがいしますが、と前置きした後で、尋ねてみた。これは「あの夏の絵」という演劇に出てくるレモンケーキでしょうか、と。店主は、その店構えと同じく穏やかな口調で、「どうも、そうらしいです」と答えてくださった。ご本人なのに、その何とも不確かな応答が、少し微笑ましかった。どなたかから間接的に「あの夏の絵」のことを耳にされたのだろうと想像したが、それ以上は聞かなかった。
 店主は、いわゆる戦争孤児だったそうだ。市内中心部に住み、原爆投下によってご両親は即死だったという。ご兄弟もその後亡くなられ、自分は親戚の元で中学校卒業までを過ごし、その後、製菓業の修行をされたとおっしゃった。原爆投下時、当時小学生であった店主ご自身も、通っていた小学校で被爆された。校舎は倒壊したが、命は取り留めたという。「あの頃は食べるもんが足りんかったけんねえ」、と店主は何度か繰り返された。洋菓子職人を目指された理由のようにも私の耳には響いたが、問うことはしなかった。

 一九七五年に開店したと、店主は話してくださった。私が宇品に住んでいたのは一九八〇年代半ばだったから、当然、その頃もこの洋菓子屋さんの前を何度も通っていたはずであったのに、その存在にまったく気づかないでいた。気づかなかったのは、おそらくお店だけではなかっただろう。この店主のように、戦争の記憶をもった人びとが、自分の周りに当時まだたくさんいたはずだ。先述のお好み焼き屋の「おばちゃん」も、子ども時代に育った瀬戸内海の島で、戦闘機からの銃撃で危うく命を落としそうな体験をした、という。その話を、私はこの再訪の際に初めて聞いた。学生時代、何年間も毎週何度となくお好み焼きを食べに行っていたのに、一度もそのような話題に及ぶことはなかった。なぜか。いろいろと理由はあるかもしれないが、その一つは、明らかに私の方に耳を傾ける様子がなかったからだろう。歴史の痕跡にせよ、当時の記憶の証言にせよ、ただ目前にあるだけでは、私との応答関係は生まれない。

 レモンケーキを口にしながら、そんなことを思った。このレモンケーキは、原爆をくぐり抜けた方の手によるお菓子だった。白井さんは、いや、白井さんのモデルであった方は、そのことをご存じだったのだろうか。「あの頃は食べるもんが足りんかったけんねえ」などと、お二人がお店の軒先で立ち話をされる場面が、勝手に思い浮かんだ。レモンケーキは、舞台上で恵やナナやアツトがさも美味しそうに食べていたあの光景から想像された、まさにその通りの味であった。黄色の実が太陽の日差しに輝く瀬戸内海の島から、そよ風が吹いたような気がした。

表題) 鮮やかな朝 update)2021'03'02'21:59
お名前)むとゆた 性別)男性 年齢)60代 ご職業)フリー エリア)神奈川県
メッセージ)
 この掲示板を見ると、今年に入ってから初の感想になることに正直戸惑いを感じた。あまり特定の人の感想が続いてもいけないかなと、若干気を遣ったりしている。それでも、ホームのスタジオ企画とはいえ17ステージも頑張った皆さんのために、やはり、何か書かずにはいられない。

 今回の作品は勿論初めてで、ポシャギと呼ばれる大きなシート1枚が印象的な舞台装置だった。この上や前で6人の人生が、年代とともに現された。アイコ役の五嶋さんが新鮮で良かった。一番若い彼女が「舞台回し(自由なMCとも)」的な存在で、他のメンバーを引き立たせているように感じた。一方で親友のノブコ役の蒔田さんは気持ちを抑え気味に演じながら年齢をしっかり重ねて行く。

 印象的な場面は、かつてレイプ被害に遭ったであろう里子を慰め励ましたノブコが、再会時には忌み嫌われて金銭解決を迫られたり、夫の推進する工事の邪魔になるから立ち退けと言われたりして、そんな里子に「あなたにも私たちと同じ血が流れている」と言い返した場面である。里子は自分の「痛み」を共有してくれた相手に新たな「痛み」を与えている。大きい演技で岡本さんが際立っていた。

 ラストに2021年が示されて無言でフィナーレになったのは、観劇した我々への「問い」だと思えた。出来れば、各年代を象徴する画像があったら、尚分かりやすかったのではと感じた。最後に劇団の皆さん、緊急事態宣言下で本当にお疲れ様でした。