劇団演出部の堀口始が、2月16日療養中の自宅で肺気腫のため亡くなりました。享年84才。青少年の生き方を問いかける多くのロングラン作品をはじめ、演出作品多数。劇団運営の要となる総務を長く担当。また後進の指導にも尽力し、6月に稽古場で行われた偲ぶ会には多くの教え子が集いました。

日露演劇交流にも関わり、四度にわたり演出。ロシアでも創造活動を共にしてきた照明家の横田元一朗さんにご寄稿いただきました。

堀口さんとロシア演劇


横田元一朗(照明家)


 一九九一年の暮れ、堀口さんの待つレニングラードの宿舎へ向かった。別役実作「トイレはこちら」の照明を担当する事になっていた。部屋の中にはテレビは無くラジオだけが あった。劇場支配人の奥様が作って呉れる食べ物をつまみにウオッカを飲みながら打ち合わせ等していた。登場人物の男と女の役をバロージャとリョーダという陽気な夫婦が演じていた。足の悪い堀口さんは一度チンピラにからまれた事があり、バロージャは「俺が堀口さんのボディーガードになる」とまるで自分のお父さんを心配するかの様に息巻いていた。お正月には家へ招待され美女達に囲まれて踊っている写真が残っている。この後長く彼らとの交流が続く事となる。

 ある日稽古が終わり宿舎へ帰ろうとしたら何だか周りの様子がおかしい。聞けばソビエトが無くなったという。どういう意味?今日は外出控えた方が良いというので宿舎へ戻りラジオを付けたらジャズが延々と流れている。アナウンサーの早口のロシア語なぞ解るわけは無いのだが、せめてテレビの絵だけでもあればなあ、と話し合っていた。翌日その事をバロージャに話すと、嬉しい時はジャズ、悲しい時はクラシック音楽というパターンになっているという。

 二年後に清水邦夫作「楽屋」を同じ劇場でやった時、リューダは女優、バロージャはナレーターとして参加してくれた。その後堀口さんは九十九年「ベッカンコ鬼」で青少年演劇最優秀賞を受賞。その時バロージャ夫婦の娘さんが演劇評論家としてデビューした。

 二千八年にはオムスクの第5劇場で「楽屋」を演出。それが数年後、当時故村井健さんが会長を務める日露演劇会議と青年劇場共催、スタジオ結の第5劇場公演「三十三回の失神」公演に結びついた。堀口さんが捲いた種が日本とロシア演劇界との架け橋になり、交流が益々盛んになる事を念じながらホリさんは、あの世へ旅立ってしまった。

 合掌


堀口 始(ほりぐちはじめ) 略歴
1931年7月15日生れ
日本大学芸術学部を経て舞台芸術学院5期卒業。1965年より青年劇場演出部へ。
日露演劇会議に参加。
演出作品「若者たち」「かげの砦」「すみれさんが行く」「17才のオルゴール」「銃口―教師・北森竜太の青春」など多数。
労働争議支援集会、日本母親大会などの構成。演出にも関わる。