第十四回

「ステージメディアのリテラシー教育」


長野高視研芸術鑑賞専門委員会副委員長
長野県深志高等学校教諭   林 直哉

 長野県高等学校の芸術鑑賞実践は、「よりよいステージを、よりよい条件で、より安く」を基軸に、鑑賞教育の意義、ステージメディアの可能性、 そして組織的鑑賞教育推進の重要性を示しながら、約半世紀続いてきた。

 この間、生徒の文化環境は、ポケベルから携帯電話そしてスマホへ、 TVチャンネルは多局化し、インターネットで個人の見たいものを自由に視聴、収集できるようにもなった。 もちろん舞台環境も豊かになり、生徒たちも、好きなバンドやアイドルのコンサートのために日本中どこへでも足を運ぶ。 鑑賞したいという意欲さえあれば、その機会は確実に鑑賞者の手に入る時代になった。 この環境は、鑑賞教室が始まった昭和30年代の比ではなく、総合的に見れば現在の青少年文化は、 多少の歪みはあっても多様で豊かということができる。その中で芸術鑑賞教室は「普段接することができない生の舞台芸術に接する授業」と言う視点で続けられてきた。 だが、同じ言葉で語られているが、舞台芸術にハングリーだった時代と今では大きく異なっている。

 芸術鑑賞教室は、当初からステージメディアに対する入門教育であり、 舞台上の情報をどのように受け取りかつステージに参画するかを学ぶ「ステージメディアのリテラシー教育」の側面を持っていた。 内容として入門期に適切な演目が注視されるのと同様に、鑑賞を通じて獲得して欲しい「舞台というメディアの文法」があった。 それは、単に鑑賞の作法(拍手の方法や会場使用のルール)ではない。「時間と空間を多くの人で共有し、演者と鑑賞者のINTERACTION(双方向性) から生まれる情感の高まり(感動)を分かち合う特性」の理解であり、その空間に積極的に参画できる知識や力の獲得を目指すことでもあった。 バーチャルなメディアが台頭する時代になって、この「舞台というメディアの文法」の獲得、言い換えれば「ステージを楽しむ鑑賞方法の獲得」が再評価されているのだ。

 私たちは、半世紀鑑賞教室で扱う演目に随分悩まされてきた。 それは、社会自体が豊かになり価値観が多様化する中で「多様化した生徒が、同時に、同じ演目を鑑賞することが可能か」 という問いとなって私たちに突きつけられた。この問いに対する解の一つは、現代的かつ普遍的なテーマやモチーフで描かれた作品を選択することであり、 もう一つが、ステージメディアの特性を理解するための演目を選択することだった。後者は演劇であれば、なぜこのような舞台装置を使用し照明を使ったか、 なぜこの構成としたか、演劇らしい表現とは何か等が学べる演目の選定である。このような選定の一例が劇団1980の上演した 「東京行進曲」「落語芝居」であり、2作品とも高い評価を残した。

 この実践の延長上に、将来のステージメディア鑑賞者の育成、 また、映像によって再構成された舞台作品を楽しむ力の育成にも有効な「ステージメディアのリテラシー教育」がある。 それは、「ステージメディアの楽しみ方・味わい方」を学び「鑑賞教室自体をメディア表現の特性理解」に特化していく企画となるだろう。 デジタル時代のコピー文化全盛であるからこそ、「時間と空間を多くの仲間で共有する表現」の重要性が増しているからだ。 ステージ表現は、古典的な表現方法である。しかし、コミュニケーションの手段として全ての生徒がその特性を理解すべきだと感じる。 この視点でステージメディアの表現を読み解く循環の最初の螺旋として、鑑賞教室を再評価できないだろうか。 長野県中信地区高等学校芸術鑑賞連絡会の実践は、この流れの入り口にさしかかっている。

(2013年7月)

※執筆者の冒頭の肩書は、当時のままになっています。
現在の肩書が分かる方は、文章末尾に表記しています。




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