第二十五回

「生の舞台に魅せられて」


三重県立桑名北高等学校 校長  岡田 真次


 昨年度、平成最後の2学期が終わる直前の12月17日(月)に桑名市市民会館で全校生徒が青年劇場による『きみはいくさに征ったけど』を観劇しました。本校は過去には音楽や演劇などの芸術鑑賞を実施していましたが、生徒の鑑賞態度に問題がある、費用がかかるなどの理由で芸術鑑賞を取りやめていました。今回は大凡10年ぶりの芸術鑑賞となりました。私自身、本校の校長として2年目の冬に、初めて生徒と一緒に演劇を鑑賞することとなりました。演劇鑑賞を実施する計画を耳にしたとき、生徒の状態は良くなっているものの、「1時間を超える演劇に生徒の集中力が続くのか」「ストーリーをきちんと追えるのか」「観劇態度が悪くて劇団の方に迷惑をおかけするのでないか」など、今にして思えば随分生徒に失礼な懸念を抱いていました。スマホで動画に簡単に触れることができ、それが日常になっている若い世代に演劇という芸術のインパクトがどれほどあるのかとも思っていました。

 当日、開演前の挨拶で「演劇は劇を演じる人、見る人の双方で作り上げるものです」と観劇する態度、姿勢に注意喚起をしました。こんな心配を抱えながら舞台を下り、観客席で劇を見ました。物語は次のように進行しました。「主人公がいじめに遭い、伊勢に戻る、そしてすでに亡くなっていた竹内浩三と出会う。竹内浩三が戦争という時代でも自分の生き方を曲げず、詩を書く。生きることは素晴らしいというメッセージを送る」と。現在と過去を行き来するという、やや複雑な展開でした。しかし物語が進むにつれて、観客席が一つの目、耳となり舞台に吸い込まれ、舞台と一体になっていくような感覚に襲われました。生徒の感性の鋭さ、豊饒さに気づきました。

 12月21日(金)の2学期終業式の式辞でも、この演劇のことに少し触れ、人権講演会で話があった「ありがとう」と「ものさし」をキーワードに話をしました。・・・「ありがとう」は仏教用語の「有り難し」が語源であるということです。有ること自体が難しい。今ここに人として生きている、命のあることが本当に多くのことが重なり、まさに奇跡であるというお話でした。演劇では戦時中、生きたくても生きられなかった竹内浩三、彼が生きたいという思いをもとに、詩に託した思いは命ある者に生きることの素晴らしさを説きました。フランス語「ヴィヴェ・ジョアイユウ」歓喜して生きよ。改めて、こうして2学期の終業式を迎えることができることに「ありがとう」と言いたいです。もう一つは「ものさし」です。竹内浩三さんの生きた時代では戦時中、「お国のため」という強烈なものさしが人々を覆っていました。浩三さんは国全体を覆っていたものさしに対して、兵隊となった後も自分のものさしを大事にするために、精神の自由を求め、トイレの中で隠れて日記や詩を書き、宮沢賢治の本の中をくり抜いて、そこに隠し姉に送ったという話がありましたと。

 簡単に情報が入り、再生ができ、一人でいることが気ままな時代だからこそ、手間暇、時間がかかる、そして一回きり、一緒に観る、このことで生の舞台の魅力が増すのだと今回の観劇を通して強く思いました。また、生徒が日常では容易に経験できないことを経験すること、出会うことができない人との出会いの場を提供することが学校の役割であると再認識しました。生の芸術を見ることで、内容もさることながら、友人と共感できる経験を高校3年間で一度でも持つことによって人間性を深めることができるとも改めて感じました。次回はいつになるかは決まっていませんが、生の舞台に触れる機会を是非、持ちたいと強く思っています。

※執筆者の冒頭の肩書は、当時のままになっています。 現在の肩書が分かる方は、文章末尾に表記しています。

(2019年6月)



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