第三十回

当たり前のことが当たり前にできる喜び
  ――2回目の「きみはいくさに征ったけれど」を鑑賞して


埼玉県立児玉高等学校 校長 中山義治


 このコロナ禍で私たちの生活は大きく変わりました。気が付けば、このような状況が2年も続いています。 教育現場では、オンライン授業やオンライン会議、そして学校行事の中止や延期を余儀なくされました。 それでも昨年度と今年度は違いました。 本校では「感染対策をすることで、実施できる行事は実施する」という考えで教育活動に取り組みました。 すべての学校において、感染防止対策を最優先にすることは勿論ですが、ややもすると感染防止を理由に安易に行事の中止を決定しかねません。 決して一か八かで実施するということではありません。どのように(感染対策を)工夫すれば実施できるかという考えが、今の学校には大切だと思います。 本校は、このような考えで、今年度はほとんどの学校行事を中止とせず実施することができました。 その実施できた行事の一つが芸術鑑賞会です。今年の内容は、「きみはいくさに征ったけれど」の演劇でした。 私と在校生はこの劇を見るのが初めてでしたが、本校では今回が2回目でした。 以前の上演を見た教員から、内容が本校の生徒に合っていて、とても良かったという声があり、再度上演していただくことになりました。 また前回の公演が今作品の学校公演として初めてだったとも聞いています。

 芸術鑑賞会の当日は、率直に実施できることをうれしく思うと同時に、私自身も楽しみでした。 私は開演直前に、生徒に対して次のような話をしました。 「是非、皆さんには、様々な視点やそれぞれの立場、それぞれの考えで今日の劇を見てほしいと思います。 そして、今日の演劇から投げかけられたメッセージを受け止めて、自身の今後の在り方や生き方を考える材料にしてほしいと思います。」

 生徒たちは、私の思いを受け止めてくれました。と言うよりは、私の話など必要なかったという方が正しいでしょう。 劇が始まるとすべての生徒が劇に引き込まれ、目を輝かせて見入っていました。 プロの芝居を見る、本物を体験するということは、こういうことなのだと思いました。 生徒の感想文にも、人との触れ合い、勇気を持つこと、戦争、生きることと成長、言葉の責任等々が書かれていました。 生徒は様々な視点でこの劇を捉えていたことが分かりました。

 学校での芸術鑑賞会は、児童生徒の豊かな情操を養うとともに、生涯にわたり文化や芸術に親しむことの大切さを感じるための貴重な機会です。 更に、生徒が思考力、判断力、表現力を身に着けることにもつながる重要な学習の場でもあります。

 コロナ禍で多用されるようになったリモートやライブ配信を否定はしません。 むしろ学習が保障されるという良い面もあります。 しかし、音楽や演劇などの芸術鑑賞会では、それはまったく意味をなさないものだと思います。 空間を共有することでしか得られない臨場感や体感、情感、心のつながりがそこにあるからだと思います。

 本校は、今年度(令和3年度)創立100周年を迎える伝統校です。 県内でも数少ない体育コースを有する学校で、サッカーや柔道で全国優勝したことのあるスポーツの盛んな学校です。 東京オリンピック女子柔道金メダリストの新井千鶴さんも本校の卒業生です。

 近年の少子化の影響等によるクラス数の減少から、本県では高等学校の再編整備として統合が計画的に進められています。 それにより本校も令和5年に同市内の高校と一緒になり、新たな学校となることが決まっています。 本校のスポーツを中心に培った伝統は新校に受け継がれます。 変化を恐れず全てを前向きにとらえ、明るく元気に学校生活を送り、立派に成長している生徒を私は誇りに思っています。

 どれくらい先になるか分かりませんが、人類の英知と我々の努力でコロナに打ち勝ち、当たり前のことが当たり前にできる日が必ず来ると信じています。 私は生徒と一緒に、来年も、その先も芸術鑑賞会を楽しみにしています。



(2022年3月)



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