第三十回
届いた思い
――竹内浩三生誕百年の年に地元伊勢市内中学校公演が実現
伊勢市立伊勢宮川中学校 校長 濱口憲子
父は病床でよく戦時中の話をした。
「あの戦争は絶対に間違っとった。これからという若者がようけ亡くなった。」
と口にすることがあった。旧制宇治山田中学校の九歳先輩であ る詩人竹内浩三のことも知っていた。
学び舎を離れて勤労奉仕に動員されることが増えていく最中、父は十五歳で終戦を迎えた。
同じ頃、「書くことこそが生きること」だった浩三は終戦を前にして戦死した。
私が竹内浩三を知ったのは「愚の旗」(成星出版)が刊行された二十四年前のことである。
すぐそこに「ひょんと」存在するかのように、自然な言葉で「生きることの楽しみ」を綴った彼の詩に魅力を感じた。
国語の授業や学活で平和教材として数編取り上げたことがある。
折しも浩三生誕百年の今年度、文化庁の支援事業として出身地である伊勢市の中学校五校で
「きみはいくさに征ったけれど」を青年劇場の皆さんに上演していただくことになった。
本校での上演を控えた晩秋に父が他界し、寂しい思いで当日を迎えることになった。
幕が上がると、子どもたちは舞台にくぎ付けになった。
底冷えのする体育館で寒さも忘れて集中していく様子が伝わってきた。
伊勢宮川中学校公演後、公演班と記念撮影
前列左から2人目が筆者
「ほんもの」から伝わる真実の感動。
「命のこと」「戦争のこと」「家族のこと」「生きること」「これからのこと」をそれぞれに体感していた。
観賞後の感想を読んで改めて子どもたちの心の高揚を感じとることができた。
思春期の子どもたちが主人公の宮斗と自分を重ね、自分の生き方までも考えることができていたことに驚いた。
そして、過酷な戦場で「生きたい思い」を綴り続けた浩三の魂の強さと美しさを子どもたちが素直に受け止め、
精一杯言葉を選んで「自分の思い」を記したことが何よりも嬉しかった。
時間の縦軸と横軸の交差する場所で、必死に生きる人々の優しさと気高さを描き切った脚本。
気迫あふれる演技。工夫し尽くされた舞台装置。
全ての力が結集されて子どもたち一人一人の魂に届いたのである。
この舞台は、子どもたちにとって「未来への分岐点」となったはずである。
改めて青年劇場の皆さんと の出会いに感謝を申し上げたい。
私自身も「生きる意味は探さないと見つからない。」という浩三の台詞に心が動いた一人である。
両親の生き様を自分の芯にしっかりと蓄えて、
これからも「未来に向かって」生きる子どもたちの成長を応援し続けたい。
(2022年3月)