第三十一回

映像教育に邁進してきた学校における演劇鑑賞教室の試み


逗子開成高等学校教諭 宮崎太郎


 本校では1980年代後半から30年以上、映画鑑賞会が行われている。自慢はそのラインナップだ。全校で一斉に見せるのではなく、2学年ごとに違う映画を年間2本ずつ見せるので、かなりのバリエーションがある。ハリウッドの大ヒットスペクタクルからヨーロッパの知られざる芸術的名画、韓国やイランなどの詩情あふれる人間ドラマ、そして日本の話題作やアニメまで、古今東西世界中の映画から良質な作品を選んでいる。ある著名な映画人をして、「逗子開成の上映ラインナップはどの映画館も真似できない」と言わしめたほどだ。かつては、授業で生徒が見た作品を保護者や地域の方々に見てもらおうと、放課後に外部向けの上映会を開いていたこともある。本校では伝説となっているが、あの大ヒット作「タイタニック」は、実は世界最初に逗子開成で「公開」された。


終演後、客席で行なった出演者を囲んでの座談会の様子


 そんな本校が2015年から演劇鑑賞教室「も」始めることになった。ただし、映画鑑賞会はほぼ毎月開かれているが、演劇はそうはいかない。日程や準備の都合で、年一回の実施と決まった。では、どの学年に見せるか。全校で一斉に見せるという発想は、最初からなかった。映画は中1と中2、中3と高1、高2と高3と3グループに分けて上映している。中高6カ年というのは、少年から青年へと大きく成長する時期であり、当然テーマや内容によって見せるべき作品も異なるからだ。教員間で議論し、映画が日常的に親しみやすいジャンルであるのに対して、ナマの役者が演じることによる迫真性や一回性などの特質をもつ演劇は、中だるみの時期だけれどそろそろ自分の人生をどう生きるか考え始める高1生に見せるのがいいのではないか、という結論に達した。

 演劇鑑賞教室を実施して感じるのは、生徒たちが演劇から受ける影響の大きさと豊かさだ。初めて本格的な舞台に触れたという生徒が多いということもあるが、どの鑑賞教室でも生徒個々が持っている演劇のイメージが見事に覆される。それは、鑑賞文や、上演後に劇団に実施していただく俳優との交流会の様子を見れば明らかだ。役者の声がしっかり客席に届くこと、音響や照明の計り知れない効果、そして、今回の「きみはいくさに征ったけれど」では、木製の椅子を組み合わせることでさまざまなモノを表して、観客の想像力を刺激していた舞台装置の工夫。いや、何よりも、練りに練られた脚本の台詞が、鍛え抜かれた俳優の肉体を通じて、魂の声として生徒たち一人一人の心の奥底に響くこと……。これらのすべてが演劇というすごいものを「目撃」した生徒たちの「衝撃」として語られている。「演劇なんて、大して面白くないことを大げさに演じて面白おかしくするぐらいにしか考えていなかった自分を反省します」という鑑賞文もあった。彼らに広く自己と他者を見つめる新たな視点を提供し、思考のエンジンを据え付ける演劇のもつ大きな力を、演劇鑑賞教室を通じて若い世代に伝える。人間の自立を促すのにうってつけの教育が他にあるだろうか。 中高6年間で高1に「一度だけ」見せるという本校の演劇鑑賞教室は、演劇そのものの「一回性」とも相まって、生徒にとって相当インパクトの大きい体験になっている。勿論このことはすべて、創造団体の方々の演劇への熱い思いの賜物である。

(2022年8月)



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