第四回

「浜松高校演劇教室の45年の歴史を振り返って」


浜松高校演劇教室運営委員
興誠高等学校教諭  酒井 勇治

   昭和39年に「高校生に生きた演劇を」のスローガンのもとに浜松高校演劇教室は産声をあげ、45年目を迎えた。一口に45年といっても、長い時間の流れがあり、歴史が刻まれてきた。 この会は、第1回の作品として山本安英とぶどうの会の「夕鶴」で始まったことは、この会の性質を方向付けた。日本において高い評価を受けた作品を上演することで、 感受性に富んだ高校生の心に切り込む教室としての方向性を決定した。ゆえに、最初の10年は名作路線とでも言える作品を上演する歴史を歩んでいる。 「夜明け前」「炎の人」「アンネの日記」「五重塔」と第5回までの作品をみても、スローガンを地でいく歴史が刻まれている。そして、草創期の10年の中で、 運営委員同士の活発な意見交流がされ、基本理念の模索が行われている。

青年劇場のお芝居※「GOOD LUCK! ― 青春の選択」が上演されたのが第10回、 つまり10年目の節目の年であることも偶然とは言い難い歴史的なことに思う。草創期の10年とは趣の違うお芝居であり、自己存在の在り方を問うお芝居は、 生徒の心に直接的に働きかけた。そして第16回教室において上演された※「夜の笑い」はテーマで鋭く切り込んだ芝居であった。参加校も増えた時期だ。  そしてこの時期は、「演劇教室の理念」及び「作品選定の基準」が定義づけられ、理論的な 意味づけを確立した時期だ。21年目のことである。趣旨をまとめると、

@ 高校生は、善や美や真実を希求する青年の火は燃えており、高校教育の場で、良い演劇を観ることを通して、青年の火を盛んにすることは大きな意義がある。
A 学校教育そのものとして企画される演劇教室は、全員鑑賞が経済的な理由を含みながら、それ以上に教育の本質にかかわる問題として不可欠である。
B 学校の明確な教育目標に基づいて、良い作品を主体的に選んで実施し、浜松地方の各学校が組織的に運営されることが望ましい。
C 演劇教室は永続することによって所期の教育目的を目指すことができる。

 以上の理念をもとにしながら、停滞化、形式化という現実に手を加え各運営委員の意識に働きかけ、検証がなされ現在に至っている。 明確な理念がないまま組織が発展的な活動を行うことはできない。

 作品選定の方法として、3年という流れの中で、基準を設けた。初めは、

(A)古典的な物語世界
(B)リアリズムの手法によってとらえられた歴史的な世界
(C)様々な手法による現実の構成
という3年サイクルであったが、昭和59年に次のように改訂された。
(T群)感動的な演劇 ― 感動した
(U群)思索的な演劇 ― 考えさせられた
(V群)感性的な演劇 ― 楽しかった

 この3年サイクルを行うことにより、すべてに当てはまる作品を生徒は観劇できる。

第二部「接触」※「夜の笑い」
-島尾敏雄「接触」小松左京「春の軍隊」より-
作・演出=飯沢匡
1978年〜1980年・1987年〜1989年 通算274ステージ
撮影:岩下守


 そして、浜松高校演劇教室は1回観劇させれば良いということでは無く、事前に資料で上演作品について学習し、観劇後、感想文を書いて意見をまとめている。 また、座談会において、感動を自分の中に定着させるなど、1年を通しての活動となっている。そのための小委員会を設け、運営委員が、精力的に活動している。 作品選定に至るところも、企画小委員会が候補作8本の選定をし、運営委員会で3本に絞り、 3劇団の説明会、各学校での投票を経て最終決定がされる、民主的な選定方法が確立されている。
 昨年、浜松市から「教育文化奨励賞」をいただいた。45年の歴史の重さを改めて感じることができた。浜松市の高校生が延べで80万人が観劇してきたことを認めていただいた結果だと思う。 これからも、最初のスローガンのもとに活動を続けたいと思う。

(2008年6月)

※執筆者の冒頭の肩書は、当時のままになっています。
現在の肩書が分かる方は、文章末尾に表記しています。




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