第六回
「芸術鑑賞教室あれこれ」
関東高等学校演劇協議会事務局長
千葉県立柏の葉高等学校演劇部顧問 阿部 順
芸術鑑賞教室の危機が叫ばれて久しい。もちろん、危機を訴えているのは劇団や楽団である。学校の職員会議で危機を叫ぶ先生はほとんどいない。
2年前、国に芸術鑑賞教室への補助金をもっと出させるための会合(国の一部署が主催しているのだが)に高校代表で出席したが、そこで聞いた劇団や音楽関係者の話は切実なものであった。
第一波は学校の行事精選。確かに週休2日となり、授業確保が叫ばれる中(これを叫ぶ先生はとても多い)、
真っ先にやり玉に挙げられたのは、合唱祭や校外学習(遠足)、そして芸術鑑賞教室などである。
合唱祭は一番最初に消えていった。第二波は生徒数減少による学校の予算不足。
それに芸術鑑賞教室担当教員の不熱心さが輪をかける(確かに成り行き上回ってくる仕事だからなあ)。
※「真珠の首飾り」
作・演出=ジェームス三木
1998年〜2005年・2015年
通算109ステージ
撮影:蔵原輝人
しかし、私が経験してきた学校や周囲の学校で(千葉県)、芸術鑑賞教室がなくなったという話は聞かない。
音楽、演劇、古典芸能と3年周期で何十年も続けている。幾多の荒波にもまれながらも、持ちこたえているのである。
問題は中身だ。その会合での情報だが、地元のアマチュアの劇団や音楽団体を呼んだり、
中には近くのうまい高校演劇部に上演してもらって芸術鑑賞教室にしてしまうケースがあるらしい。困った話である。
プロの声楽家が一人、何百人もの生徒の前に立つ。それまで落ち着かなかった会場が、声楽家が歌い出すと一瞬にして静まり返り、10秒後に感嘆のため息がもれる。
プロの俳優が第一声を発すると、マイクなしで客席後方まで届くその声の張りに驚嘆する。
落語家や漫才師の軽妙な語り口に芸の奥行きを知る。そんなプロの凄さを生で知るのが芸術鑑賞教室なのだと思うのだけれど。
今の時代、コンサートや演劇など自分で、あるいは家族でいくらでも行けるのだから、芸術鑑賞教室など必要ないなどと言う人もいる。
果たしてそうだろうか。子ども達が自らコンサートに行きたいとか演劇を観たいなどと言うだろうか。
放っておくとテレビをだらだら見たり、マンションの集会室で子ども同士で集まってPSPやDSiをいじっているだけではないか(うちの子供の話です)。
芸術鑑賞教室には、「観なくてはいけない、聞かなくてはいけない」という強制力が働く。それが大事だ。
友達と会話もできない、携帯もいじれない、2時間じっと座って事の成り行きを最後まで見届けなくてはならない機会は、学校生活ではそうあることではない。
特に演劇が大変だ。最初の1時間じっくり観てちゃんと理解しないと、残りの1時間がさっぱり面白くない。
逆に最初の1時間がまんできれば、後は最高に楽しい。
でも、それって私たちが教えている勉強と同じではないですか。演劇は勉強だったのである。
演劇にとって手強いのは、実は先生たちである。その世代のためか演劇に関心をもっている先生はけっこう多い。
校内美化を叫んでいる先生が(先生はどこでも叫ぶ)いきなり演劇論をぶったりするのに驚く。
そしてみんなかなりの批評家である。生徒たちが大いに笑って成功と思われた公演でも、
その後にすっと私のところへ寄って来て、「今のテーマは何だったんですか」と聞きにくる。
アンケートには「中身がない」ととても劇団には見せられないような回答を書く。先生方にはテーマが必要なのである。
その一方で生徒が感動して泣いているような、特に戦争ものの劇の後では、やっぱり私のところにすっと寄って来て、
「ああいうテーマ主義って大っ嫌い」と言い放って職員室に帰る。アンケートには「内容がひどい」と書く。
こういうことって音楽や古典芸能ではめったに起こらない。
芸術鑑賞教室担当の教員が演劇の年になると、その仕事を誰かに回そうとしたり、公演が近づいてくると憂鬱そうにみえるのもうなずける。
でもそれだけ先生方は演劇には関心が高いのである。青年劇場も公演後に生徒との座談会をよく開くけれども、先生との座談会を開いてみるのもいいですよ。
特に夜。ちょっと勇気がいるけれど・・・。
最後に学校公演について。本当に学校で開く公演のことである。
昔は学校に劇団が大きなトラックで乗り付けて、体育館のステージを舞台に変えて公演することは多かったが、今はほとんどない。
生徒たちが劇場や文化会館に出向く。学校にも劇団にとってもそっちの方が都合がよい。ところが最近二年連続で演劇の「学校公演」の機会に恵まれた。
まさに恵まれたのだ(一つは青年劇場のものであった)。よかったなあ。まず準備がわくわくする。劇団員たちやスタッフたちが体育館をみるみる劇場に変えていく。
照明の大掛かりなやぐらと言うのか、鉄骨が組み立てられ、貧弱な体育館のステージ照明が半日でコンサート会場のようになる。
何よりもさっきまで金づち片手にパネルを組立ていたお兄さんが、「俳優」に様変わりしているのがいい。生徒たちはこうして職業としての「俳優」に触れるのだ。
かつて青年劇場のベテランTさんが、一年じゅう学校公演をやっていた頃のことを語ってくれた。「学校公演ってのは楽しくてね。生徒が変わるんだよ。
いかにも見た目が悪そぉーなやつらが最前列に足組んで陣取っててさ。最初は大丈夫かな〜と思って演じてるんだけど、ところが劇観て一番笑ったり泣いたりしてんのがそいつらなんだよ。
で、劇終わると片づけを一緒に手伝ってくれるんだよ・・・」。そんな映画のような、いや「劇」のようなTさんのその話が私は大好きである。
(2009年7月)
現在、全国高等学校演劇協議会事務局長
千葉県立松戸高等学校教諭
※執筆者の冒頭の肩書は、当時のままになっています。
現在の肩書が分かる方は、文章末尾に表記しています。