「翼をください」から17年。
いま再び、若者たちの姿(リアル)を通して浮かび上がる
時代の現実(リアル)と おとなたちへのメッセージ!!

4月 第94回公演

「修学旅行」

畑澤聖悟=作 藤井ごう=演出


 4月定例公演は、「修学旅行」(畑沢聖悟=作、藤井ごう=演出)を上演致します。修学旅行に訪れた「沖縄」の旅館での高校生たちの物語。「60年前の戦争」と「今の戦争」が交差する「沖縄」を舞台に、「60年前」を受け止めることと「今」に感じている怒りや不安とがうまく重ならない子どもたちと、「60年前」は語っても「今」を語ろうとはしないおとなたちとのすれ違いが笑いを潤滑油にしてリアルに描き出されていきます。

 誰かが決めた「美しさ」「正しさ」を押し付けることが本当に教育と言えるのか。嘘と真実を混在させながら、マスメディアやインターネットを通じて世界中のできごとが瞬時に伝えられる「情報の時代」に、私たちは子どもたちと共に、何を掴み取り、何を共有すれば良いのでしょうか。この作品を通じて、「平和」とは何を指すのか、本当の「教育」とは何なのか、今私たちに厳しく問われていることを共に考え合いたいと思います。

 作家の畑澤聖悟さんと、「ケプラーあこがれの星海航路」「GULF−弟の戦争−」の作者・脚本家で、高校生版「修学旅行」をご覧になった篠原久美子さんに期待のメッセージを頂きました。



◆はたさわせいご◆

1964年、秋田県生まれ。劇作家・演出家。演劇プロデュースユニット「渡辺源四郎商店」店主。青森を中心に東京でも精力的に公演を行っている。05年、『俺の屍を越えていけ』で日本劇作家大会短編戯曲コンクール最優秀賞を受賞。また、93年よりラジオドラマの脚本を多数執筆。98年『為信のクリスマス』でギャラクシー大賞ラジオ部門最優秀賞、99年『県立戦隊アオモレンジャーfirst』で日本民間放送連盟賞ラジオ娯楽番組部門最優秀賞、2000年『シュウさんと修ちゃんと風の列車』で文化庁芸術祭大賞をそれぞれ受賞。現職の公立高校教諭でもあり演劇部顧問。自らの作・演出で各種高校演劇コンクールに出場している。全国大会では99年『生徒総会』で優秀賞・文化庁長官賞、05年『修学旅行』で最優秀賞・文部科学大臣奨励賞を受賞。この作品を下敷きに、青年劇場公演のために今回自ら書き直した。06年には『修学旅行』のソウル公演を行うなど、海外からも注目を集めている。

修学旅行について
劇作家 畑澤聖悟

 高校演劇には「戦争モノ」というジャンルが存在する。

 反戦のメッセージ、平和への祈りを高らかに歌い上げる。このジャンルに属する作品は実に多いのだが、扱われる題材は原爆や空襲や特攻、つまり六一年前の太平洋戦争に限られる。現代日本の高校生にとって平和を考えることは過去の戦争について考えることであるらしい。批判しているのではない。意義のあることだ。大事なことだ。祖父母の記憶は決して風化させてはならない。

 しかし、である。

 こうしている間にも内戦状態となったイラクでは毎日誰かが銃弾や爆弾の犠牲となり、一三万あまりの兵を駐屯させたままのアメリカは、更に約二万の増派を宣言した。

 「平和とは、どこかで進行している戦争を知らずにいられる、つかの間の優雅な無知だ」  アメリカの詩人、エドナ・セントビンセント・ミレーは一九四〇年にそう書いた。高校生に限らず、現代の日本人は現代の戦争との接点を持たない。接点がないということは共通の基盤の上にないということである。自分の問題として考えることが出来ないということである。

 ならば、と考えた。

 戦場や戦火に巻き込まれた町ではなく、ありふれた現代日本の生活場面を使って現代の戦争を描くことはできないか。そうすれば接点のないところに接点を作ることができるはずだ。

 「修学旅行」の舞台は沖縄の旅館の一室であり、そこで繰り広げられるのは五人の女子高生によるケンカである。たわいなさを笑って頂いて結構。しかしドタバタの中に込められたささやかなメッセージを読み取り、「どこかで進行している戦争」に思いを馳せて頂ければ、作者としてそれにまさる喜びはない。




「戦争を知らないおとなたち」の地平から
篠原久美子

 畑澤聖悟さんの『修学旅行』は、文句なしに面白い作品です。私は国立劇場でこの上演を見せていただきましたが、もう、涙が出るほど笑いました。

 物語は高校生達が、平和学習の目的で行った沖縄への修学旅行での一部屋一晩の事件です。同じ部屋に宿泊している五人の女子生徒が、それぞれ部活の事情や恋のさや当てといった小さなことから、誤解と意地の張り合いが次々生まれ、ついには「枕合戦」という大戦争に発展していく爆笑喜劇です。

 これを青年劇場さんが上演されると伺ったとき、大きな期待が私の中に起こりました。それは「現役の高校生が自然に演じて素晴らしかった作品を、おとなが意識的に創る」ことへの期待でした。この作品のなかには、さりげない日常の笑いの中に潜んでいる戦争の比喩があります。「布団を踏んだら領土侵犯」などの笑える言葉をはじめ、些細なことを共通の脅威として正義を振りかざす人物がいたり、争いが終わった後で原因はその部屋になかったという事実が発覚したりと、実に見事に日常の笑いの中に「戦争」が構造化されています。おそらく現役の高校生達はこうしたことをあまり意識せずに演じていたのではないでしょうか。そうした「戦争を知らない国」の中に潜んでいる戦争の影響を、おとな達が、若者の口を借りてどう表現するのか、大いに興味が湧きます。おとなが若者達に戦争のなにかを教えるのではなく、「戦争を知らない子どもたち」が無意識に受けている世界の戦争の影響を、「戦争を知らないおとなたち」が意識的に共感してくという、これまでに戦争を描いてきた多くの作品にはなかった新しい地平が、この作品で開ける気がします。

 この作品は、小さな修学旅行の旅館の一室で繰り広げられる小さな争いの中に、世界の戦争を凝縮しています。それがふわりと世界に向かって飛び上がる瞬間を持っています。おそらくその飛翔は、意識化されることによってより高い飛翔になることでしょう。

(しのはらくみこ・劇作家)





演出の藤井ごう氏(右から3人目)を囲む高校生役の出演者たち

稽古場にて 左・畑澤聖悟氏 右・藤井ごう氏


作品のページはこちらをクリックしてください。
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http://www.seinengekijo.co.jp/s/shuugaku/shuugaku.html


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