あの夏の絵

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過去の公演より

2017年〜




 今日の劇は、私に原爆について今一度、しっかり振り返る機会を与え、劇の美術部の皆さんの、原爆の絵に対する真摯な姿勢は、私の一つの目線となりました。
 今、私の胸の中は「わぁー!」といった状態です。こんなにたくさんのものを与えてくださり、ほんとに感謝の気持ちでいっぱいです。素晴らしい劇をありがとうございました。
(高校生)




 まず、原爆の絵を描くまでのプロセスのリアルさに驚かされました。証言者の方の急な体調の変化、定まらない記憶の再現…。 つい、メディア上では完成した作品ばかりが取り上げられて、描いている最中の大変さを知り辛かったのですが、今日の劇を見て、改めて知ることが出来ました。
 私は特に主人公が被爆者である祖母と話し合う場面が好きです。70年間も言えなかった思いを伝える辛さというものは中々描く側の私たちには量り得ないもので、演劇という形で少しそれが分かってよかったです。 あまり普段から演劇を見ることはなかったのですが、今回の鑑賞を通して、強いメッセージ性を持つ芸術として、とても心ひかれました。今後はより積極的に見ていきたいと思いました。貴重な体験をありがとうございました。
(高校生)




 原爆の絵を描きたい人、こわくて描きたくない人、被爆体験を伝えたいと思う人、思い出したくない人、いろんな思いを持った人たちが「原爆の絵」と真剣に向き合っていく姿が素敵でした。 私は「原爆の絵」のようなこわい絵は描きたくないという、東京から転校してきたくどうさんと同じ考えでした。
 しかし、くどうさんを説得するめぐみさんが「描いている間は被爆者の手となって描いているからこわくない」という言葉に、そういう考え方もあるのかとはっとさせられました。
(高校生)




 登場人物たちのそれぞれの立場の違いがよく表れていて面白いと思いました。特に、高校生3人の「絵」に対する姿勢と「原爆の絵」に対する姿勢に変化がついていたところが印象的で、絵を描く人にしか伝わりにくい部分をよくぞここまで表現してくれたなぁと感動してしまいました。
 戦争を体験した人にしかわからない苦しみがあるように、原爆の絵を描く側の人にしかわからない苦しみがある。その苦しみに加えて、先にある達成感だとか、被爆者の方とほんの少しでもつながれた喜びだとか、そういうことも伝えることのできる、素敵な力を持った劇であったと思います。思わず「自分ならどうするだろう?」「自分には何ができるだろう?」と考えさせられました。
(高校生)




 被爆者のおじいさんが美術部の3人に原爆のことを語る場面が強く心に残っています。1つ1つの言葉に重みがあって、写真や映像がなくても目の前に情景が見える気がしました。
 原爆について学校で習っていましたが、それらとは違う勉強になりました。3人が描いた絵がどんなものか自分なりに想像を広げました。完成したとき私もうれしくなりました。 (中学生)




 私はこの劇を見て戦争や原爆の怖さ、それと何かを真剣に何があっても諦めずにやり遂げることの大切さを知りました。社会の教科書や本をたくさん読んで、それで知った気になっていたけれど、劇中のセリフで生々しいケガなどを聞いて本当の怖さを知りました。この体験を生かしたいと思います。
(中学生)




 劇の中では、自分の知っていることや知らないことがたくさんでてきて勉強になりました。第二次世界大戦中におこった広島での被爆の絵をかくことで、美術部の3人の仲がだんだんよくなっていくところはとてもすてきでした。あの3人が言っていたように、私も「戦争」や「被爆」は他人ごとではないなと感じさせられました。
 また「被爆」というつらいことがあったあとも「いじめ」があったということには本当にびっくりしました。そんななかでも生きつづけたおばあちゃんのように強い心をもって私も生きていきたいと思いました。
(中学生)




 「あの夏の絵」はすごく良い話だなと思いました。被爆者の話を聞いて心を動かされた高校生たちが平和とは何か考えたり、原爆の恐ろしさに目を向けたりしながら絵をかくというのは素晴らしいことだと思いました。
 私は「こうやって記憶はなくなっていくのかな」という言葉が印象に残っています。被爆者が亡くなっていき、原爆について語りついでいく人々が少なくなってきているので、私たちも原爆についてくわしく知る必要があると思いました。
(中学生)




 学校生活の中で教科書を通して、体験的活動を通して、戦争について考える機会はあるものの、戦争を体験していない世代の私にとっては、やはり想像をこえません。今回の劇は高校生の体験に基づいて描かれ、心に迫るものが有りました。平和な現代に生きる一人として平和とは何かできることは何か、考えて行きたいと思います。
(中学校教員)




 体育館という広い会場で、どうして声があのように通るのかとても不思議でした。静かに語る場面でも静かな話し方でしっかりと声が聞こえる。穏やかな表情が声にのっている、そんなイメージで、観客席からステージへ一気に引きよせられました。
 様々な表現手段がある現代においても、人間の可能性を感じました。それは演劇のすばらしさであり、感性を磨くだけでなく、表現の技法など大変興味深いことがたくさんあります。私たちにこのようなチャンスをくださり本当にありがとうございました。生徒たちの感想を書く様子は真剣で、感動がおさえきれないようでした。
(中学校教員)




 日常的に映像や虚構の世界に浸り、「表現力」が乏しいと言われる子ども達にとって、生身の人間が間近で演じる姿を見ることのできた今回の体験は大変貴重であった。
学校の「授業」として演劇(芸術)を鑑賞する意義についても深く考える機会となった。
(中学校教員)




 今回の演劇では、70年以上の過去を表現するために被爆者と、その話しを聞き一枚の絵を完成させた高校生との関わりや心情の変化など、年齢の近い主人公に自分を合わせて、共感することができたのではないかと思っています。触れたくないから知りたくないなど、生徒たち若い年齢でそう考えがちになりそうなことですが、劇を通して考える機会となったと思います。 (中学校教員)

撮影=宿谷誠


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※学校での演劇鑑賞教室について劇団機関紙上で連載していたものをWeb上にアップしました。

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