昨年秋、紀伊國屋サザンシアターで初演し、連日満席のお客様にご覧いただき、好評を頂いた梶山季之=原作、ジェームス三木=脚本・演出の「族譜」を、早くもこの秋、東京で再演することになりました。
初演終了後、「日本とアジアの新しい友好関係が築かれようとしている今、もっとたくさんの人たちに観てほしい。」「歴史の真実と向き合うことが求められているこの時期に、日本中の人々に観てほしい。」等、たくさんの方たちから再演を望む声を頂戴致しました。また、「憤りの気持ちを持ち続けているから、作品がいきいきと呼吸している」と、昨年度のベスト作品として選んでくださる劇評家もあるなど、演劇界でも話題になりました。
私たちは、このような声をありがたく受け止め、また、社会や時代に向き合う劇団としての信頼に応えるために、そして、長年にわたり築いてきた韓国との豊かな交流をさらに一歩広げていくためにもと、今年の再演に踏み切ります。さらに来年には日本全国に公演の場を広げて行きたいと考えています。公演地など詳細は検討中です。皆様のご協力をお願いいたします。
青年劇場「蘇る梶山季之…」
橋本健午
(ノンフィクション作家・「電子版 梶山季之資料館」管理人)
私が助手となったころ(一九六六年秋)、すでに流行作家の一角を占めていた梶山は週刊誌や小説雑誌の連載をこなし、取材や講演などで国内外を飛び回っていた。物静かな人であったが、モーレツ作家などといわれた時期である。
しかし、梶山には書きたいものがあった。生まれ故郷の旧朝鮮(韓国)・母の生まれたハワイと移民・そして父の故郷広島と原爆の三つをテーマにした環太平洋小説(「積乱雲」未完)である。このたび再演される『族譜』や『李朝残影』など朝鮮ものは、二十代前半に何度も書きなおしている。
わずか四五年の生涯、その早世を惜しまれた梶山だが、没後三十年以上を経た今、若い世代が注目し、この『族譜』や『黒の試走車』『赤いダイヤ』、またノンフィクションものも再び出版されだした。作家は死しても、作品は死なないのである。
ところで、『族譜』は昨年秋に続く公演である。自作品の映画化・テレビ化はいくつもあるが、舞台化はこれが初めて。二次使用は“別の作品”といっていた梶山だが、さぞかし観たかったにちがいない……。
「族譜」再演に期待大
「哲恩(ペチョルン)
(韓国民団中央本部宣伝局長)
在日韓国人の圧倒的多数が、本名よりも日本の名前を多用している。なぜ韓国人が日本名を名乗るのか。それは、植民地時代に強要された民族抹殺政策「創氏改名」が、今も日本に住む韓国人に染み付いているからである。韓国人だとわかると差別されるとの思い込みと、在日を差別する日本社会の構造は変わらないという固定観念が、日本名使用に拍車をかける。この場合、非は日本の側にある。
しかし、もしかすると在日の方にこそ、日本に住んでいるから日本名を使うことが自然だと無邪気に思ったり、日本名にこそ愛着を感じ、本名をお荷物に感じる心性があるのではないかという気もする。だとすれば、非は在日の側にある。それほどまでに韓日間の歴史が風化し、同化が進行しているということにほかならないからだ。事は重大である。
ぜひ、青年劇場の皆さんに、「族譜」を体当たりで再演してもらい、本名よりも神通力を持ってしまった偽名の誕生を鋭く突いてほしい。明日の社会を担う全国の若い世代と在日が、この作品を通じてきちんと過去に向き合い、やがて多文化共生の未来をともに創造できると確信している。
岩波現代文庫『族譜・李朝残影』刊行
大塚茂樹
(岩波書店編集部)
梶山季之氏が逝去されてから三十三回忌にあたる本年、岩波現代文庫では朝鮮小説の白眉である『族譜・李朝残影』をはじめとして『黒の試走車』『ルポ戦後縦断−トップ屋は見た』の計三冊を刊行しました。八月に刊行された『族譜・李朝残影』は早くも二刷と順調な滑り出しを見せています。
梶山氏の朝鮮小説の存在は以前から知っていましたが、私は昨年初めて「族譜」と「李朝残影」を一読しました。小説としての完成度も高く、何よりも朝鮮民衆の受難に心寄せ、日本人の植民地責任を問いかける著者の情熱をひしひしと感じました。従来抱いてきた流行作家というイメージが覆される驚きを感じた次第です。ぜひ多くの読者に、梶山氏の作品が読まれてほしいと願い、岩波現代文庫の企画を実現させました。この秋、青年劇場による「族譜」の再演も、広範な市民が梶山文学と出会う絶好の機会となるでしょう。私も初めて見る「族譜」を楽しみにしています。