追悼



1998年11月3日、フランス文化勲章シュバリエ授勲式
(旧銀座セゾン劇場ロビーにて)

土方与平 (ひじかたよへい)

2010年1月21日、大腸ガンのため逝去、享年82歳。東京都出身。1965年青年劇場入団以来、30年にわたる製作局長としての仕事の中で、飯沢匡作「夜の笑い」をはじめ製作作品多数。又、芸能実演家の地位向のために尽力。日本新劇製作者協会理事・新劇団協議会理事・日本芸能実演家団体協議会常任理事・アシテジ(国際児童青少年演劇協会)世界理事等、一連の演劇関連団体で活躍。フランス語やロシア語等堪能な語学力を生かした翻訳等多数。土方与志の次男。

主な翻訳作品 「フランス芸能人の生活」「生芸能分野における公共業務の使命に関する意義」、戯曲:「ドラゴン」「裸の王様」(ロシア語より)「あるハムレット役者の夢」(フランス語より)等。
論文・エッセーに「フランス民衆演劇運動について」、「児童青少年演劇にたいしての社会的投資の必要性について」「地方自治体と演劇助成」「築地小劇場の思い出」等。
1995年日本舞台芸術家組合賞受賞
1998年フランス文化勲章シュバリエ受勲

弔辞

 瓜生正美(青年劇場顧問)

 与平さん、随分と長いおつき合いでしたね。青年劇場の四十数年は勿論のこと、その前の舞芸座でのルーマニアのカラジァーレの「失われた手紙」、更にもっと前の人民演劇集団時代のこと、一九五二年のメーデー前夜祭の事件、そして「血のメーデー」のこと、いろいろな思い出が駆け廻ります。とにかく私にとって与平さんの印象は「誇り高き男」「激しく燃え上る炎のような男」でした。

 青年劇場では長い期間にわたり与平さんが製作局長、私が劇団代表で作・演出というコンビでしたが、いつも激しくぶつかり合う関係、というより私が専ら叱咤激励されるという関係でした。貴方の支えがなければ私は満足に代表の仕事をやれなかったに違いありません。

 でも一〇年ほど前から二人とも運営の第一線から退いて顧問となり、それ迄の喧嘩相手が一転して仲よしクラブの二人になった様な気がします。誰かが云っていました、「与平さんと瓜生さんとは本当は仲がよかったんですよね」と。劇団を思い、演劇運動を通しての日本の変革を志していたからこその喧嘩だったと思います。

 「鬼の土方、仏の瓜生」とよく云われました。与平さんも自らそう任じていましたが、少しいい加減で、大ざっぱな私が何とかやってこれたのも「鬼の土方」の支えがあっての事です。今からでは遅いのですが、心からお礼を云わせて貰います。有難うございました。…でも今から考えると、本当は思いやりのある「仏の土方」だったのですよね。

 青年劇場の創立メンバー・クラスの人達が、次々と居なくなって残された最年長者の私は寂しい限りです。でも先にいった人たちの「人間が人間らしく生きていける世の中を創るために演劇の分野で力をつくす」という志を無にしない為にも、残された者たちが「老・壮・青」みんな一緒になって志を受けついでいかなければと更めて心に誓っているところです。

 与平さん、長いこと本当に御苦労様でした。どうぞ安らかにおやすみ下さい。

 貴方の志は私ら残された者たちが、ちゃんと引継いでいきますから。合掌

     二〇一〇年一月二六日