福島から普天間へ ふじたあさや
普天間のことは、誰かが書かなければいけない、と思っていた。坂手さんが書く、それも青年劇場の依頼で、と聞いて、これ以上の取り合わせはないと思った。
ぼくは青年劇場とは、1983年に『臨界幻想』を書いて以来のおつきあいである。30年前の舞台をご記憶の方は多くないかもしれないが、福島第一原発を舞台に、希望に燃えて原発に就職した若者が、被曝して命を落としたのを、死因に疑いを持った母の眼で追及していくという芝居で、小竹さんの演ずる母のリアリティーあふれる演技と、千田是也先生のシャープな演出が、印象的だった。原発問題を問題として描くのでなく母物として描こう、というのが千田先生とぼくのねらいだった。下請け労働者の被曝などお構いなしという東電の体質は、やがて大事故を引き起こすことになるだろうと、警鐘を鳴らす狙いで、劇の最後はあきらかに炉心溶融がおこって、放射能が撒き散らされるという場面になるのだが、結果としてそれは、チェルノブイリ事故を予言し、今回の福島の事故を予言したことになった。そのころは、原発安全神話がまかり通っていたから、私たちの芝居は、国の政策に反するプロパガンダか、いいところSF扱いだった。それでも、原発所在地、予定地を巡演した中で、いくつか原発建設を断念したところが出たのは、われわれの芝居のせいだけとはいわないが、してやったりという思いがした。
『臨界幻想』の経験で、世の中に異議申し立てをしたい時の道連れとして、青年劇場が頼りになる劇団だとわかって、それから三本、ぼくは青年劇場と共同作業をした。いずれも千田先生の演出で、成果はそれぞれだったが、千田先生もぼくも、こういう芝居なら青年劇場だよな、という劇団に対する信頼は揺らぐことはなかった。
今、世の中に異議申し立てをする作家の、先頭を走っているのが、坂手洋二さんである。ぼくの最も信頼している作家のひとりである。その坂手さんと組んで、信頼している青年劇場が沖縄に挑戦する。坂手さんも、問題を問題のままに描く作家ではない。人間を通して描くのは勿論だが、ときにそこに見えないものの目が重ねられていたり、残酷な時間が重ねられていたり、単純ではない。沖縄を描いたこれまでの作品でも、キジムナーの存在やら、死んだ米兵の存在やらが、世界の向こうに透けて見えることで、坂手さんは今まで誰も達しなかったところまで、ぼくらを連れて行った。普天間を描く今度の作品が、僕らをどこに連れて行ってくれるのか、期待が持てる。坂手さんが突き付けている刃は、いつも自分自身に、われわれ自身に向けられている。「で、おまえはどうなのよ」と居心地の悪い思いを、いつも味あわせられる。だからぼくは彼を信頼する。自分のことをさておいて批判ばかりする奴は、信頼できない。その坂手さんが、青年劇場と組んで、こんどはどんな異議申し立てをしてくれるのか、開幕が待たれる。
☆第一回 5月8日(日)<沖縄戦から「普天間&辺野古」まで>
講師:大城将保さん(筆名/嶋津与志さん)
☆第二回 6月11日(土)<沖縄メディアと本土メディア>
講師:仲井間郁江さん(琉球新報東京支社記者) 牛島貞満さん(小学校教諭)
☆第三回 7月19日(火)<米軍政下 アメリカ世(ゆー)の記憶>
講師:森口豁さん(フリージャーナリスト・「沖縄を語る一人の会」主宰)
※8月も計画中!ご期待ください。
◆『海の沸点』
(地人会/演出・栗山民也/1997年)
撮影:谷古宇正彦 提供:地人会新社
◆『沖縄ミルクプラントの最后』
(燐光群/演出・坂手洋二/1998年)
撮影:大原狩行 提供:燐光群
◆『ピカドン・キジムナー』
(新国立劇場/演出・栗山民也/2001年)