―― 両作品とも久々の東京公演になります。今までは高校生、中学生、子ども劇場という観客に観ていただきましたが、東京再演ではどんな客層を意識されますか。
清美 芝居を観慣れている人たちが来るというのは一つの変化だと思うんです、だから厳しい。観慣れていない高校生が温いという事ではないんですが、観慣れた人は観慣れた人の見方をするから、だからそれに対してもう一回気を引き締めていかないといけないなと思いますね。
―― 学校公演の作品は演劇評論家などに観ていただく機会があまりなくて、どんなテイストでどんな質の物をやっているかなかなか理解していただけない。だから時々、こういう作品で行っているんだよ、と一般のお客さんに提示することは意義のあることだと思っているんですけど。
清美 そうですね。
ごう 僕は東京公演だからというより、自然体でいってもらいたいな。もっともっと俳優どうしの関係も成熟していくでしょうし、その上で不特定多数のお客さんに出会ってもらいたいなという感じです。「修学旅行」は昨年が初演で、まだこれからどんどん成長していく作品なので、初演にご覧になった方でも、もっと進んでいるものとして捉えてもらえるように、という気積りですかね。
―― お二人には、青年劇場が言う青少年劇場作品、主に高等学校を中心にして行う演劇教室を前提にして作品創りをお願いしたわけですが、その点で特に意識したことなど聞かせていただけますか?
ごう もともと「修学旅行」は高校生が高校生をやって、高校生として舞台評価された作品だったんで、僕が一番意識したのは、最初にあんまり高校生という事を意識しないで、人間をちゃんと作ろう、俳優さんに、とにかく人間としてそこに存在することから物事を見ていってほしいなということでした。それができると思える脚本だったので。高校生相手に目線を下げる必要は全然ないので、まず大人が子どもを馬鹿にしないで、しっかり創っていこうという所が入り口でした。
清美 「3150万秒と、少し」は、本当にまじめに生きる死ぬの話なので、それをいかに説教臭くもなく、恥ずかしくもなくやるかというのがテーマでした。この芝居は主人公二人に莫大な量の台詞をしゃべらせているんです。そこには一つには理由があるんです。言葉にできないけど、もやもやした感じって絶対高校生の頃ってあるじゃないですか。それがうまい言葉が見つかった時ホッとする、あたしだけじゃないんだとか、この自分の感情に名前がついたみたいな感じがあると良いなと思って。アァこの感じ私にもあるという事になるとちょっとホッとするとか。あの時彼女が言っていた言葉は正確ではないけれどこういう感じみたいとか、そういう事になれば良いなと思っているので。自分が高校生だった時を思い出すと、一瞬でも「馬鹿にされている」とか、「子ども扱いされている」と感じた瞬間の反発ってすごかったですからね。でも同時に、自分たちができないことを、大人の人たちがスラッとやっているのを見てカッコいいと思ったりする瞬間もあったりする。ですから「3150万秒と、少し」では、観客である生徒さんたちを馬鹿にしないで、かつカッコいいと思ってもらう、というところが、私たちの課題でもあったんですけど。
―― そういう意味で衣裳や舞台装置などのテイストは意識してらっしゃいましたよね。
清美 意識しました。「3150万秒と、少し」は現代が舞台の、しかも一年間を描く物語ですから、それこそ、高校生役は普通に制服を着てもできます。でも、あるスピード感で一年間を描ききるということを考えたときに、衣裳替えの時間を省き、同時にひとつのスタイルをもった舞台にしたくて、一役一衣裳に徹し、登場するすべての衣裳の色を、あるブランドのカラーに合わせているんです。
―― 衣裳ではごうさんとは対照的ですね。
清美 対照的ですね(笑)
ごう まあ、それでもこだわるわけですが。たとえジャージでも(笑)! ただ「修学旅行」で中心となる人物は基本的には5人じゃないですか。そのどの部分に興味を持ってもらうのかというのはすごくあって、それがバット振る子一人衣裳が違うとか、生徒会長以外みんな少し着崩しているとか、だれが何処に引っかかってもいいよという物の作りはしています。
―― 実際、演劇教室で高校生が見ているのを見てどうでしたか。
ごう 俳優さんたちに対しては、とにかく目線を下げないで同じ地平で役を考えていってほしいな、ということが大前提なので、とにかく真剣に同じ目線の中にある高校生ということを探求していってもらった上で、装置とか少しばかばかしくしておいて、あのゴーヤが下がっている下がっていないは賛否両論ありますが、ただ会場に入ってきた瞬間に「わ! ヘチマだぜ!」「イヤ、ゴーヤだよ!」とか言う時点で、「芸術鑑賞会」という名前で来ている子どもたちの背中が変わるんです、それこそ。そうなったときに、俳優さんには子どもを信じてやっていただくということですね。
清美 地方の生徒さんであればあるほど、「普段はなかなか観られないプロの芝居だ」と思ってご覧になるわけですから、やはり「自分たちじゃ出来ないことを見たい」と思うと思うんです。実際、わたしが客席で観ている時も、装置が透ける場面で「おぉ」という声が挙がることが多いんですね。あれは高校演劇では出来ません。生徒さんたちの「おぉ」という反応を見るとうれしいですよ。この芝居を作るに当たって目指していたことでもあるので。大人の知恵っていうか、そういうものを、正しい形で見せる。決して誇示するとかではなくて、「ごめんちょっと私たち沢山生きているからさ」って(笑)。「へぇ、大人になったらこんなことも出来るんだ」って考えられれば、年齢が上がっていくことが希望になると思うんです。
―― なるほど。
清美 お芝居を観るって、集団での体験じゃないですか。集団で共有するからこそ、きっと、同じ芝居でも、それぞれの学校での印象は違うはずなんです。たくさん笑ってくれた学校では「みんなすごく笑ったね」だし、集中して静かに観てくれた学校では「真剣に観ちゃった」という経験になる。つまり集団で体験するので、集団の雰囲気に自分の記憶とか感動さえも左右される。
ごう 定時制の公演を見せてもらったんですが、高校生の反応は強烈でしたね。
清美 私も前の年にやっているので、確かに。
ごう 体験として面白かったです。
―― 同じ学校で共通体験するというのは確かに今の高校生は減ったのかな、という感じがするんですが。
清美 みんなで「オーッ!」と一丸になるという経験がもともと少なくなってきている中で、芝居を観るというのはたった二時間ぐらいですけれど、特別な体験になるといいなと思います。芝居じゃないですけれど、私の通っていた高校は元旧制中学なので、ファイヤーストームという旧制中学からの行事があったんですよ。体育祭の最後に、体育祭のためにみんなで作ったものを全部燃やすんです。その日は夜の八時とか九時まで学校にいてもよくて。私たちのころから存続が危ぶまれていたので、ひょっとしたら今はもうなくなっているのじゃないかと思うくらいの行事なんですが……。
―― 今は火を燃やすこと自身が環境問題であぶないですよね。
清美 そうですね。でも、わたしにとってはとても特別な体験でした。多くの人と一緒にする圧倒的な体験というものは、何十年たっても抱きしめていることができるものなんだということを、わたしはあのファイヤーストームで知ったんです。ああいう体験を、ものはなんであれ、今の高校生にもして欲しいですね。
―― ごうさんは個人的な高校生の時の体験はどうですか。
ごう 僕は男子校で運動会もありませんでしたし、それこそ下世話ですが文化祭は女の子が来るので、そこは一致団結というよりは、競い合いですから、そんな火を囲んでなんて、良いなあ(笑)。やっぱり僕は何か欠落しているな。(笑)
―― 演劇教室では、高校生どうしの共通体験の場をつくってきたわけですが、今回の東京公演では、一般の大人のお客さんと若い人たちとの共通体験の場にもなるわけですね。非常に楽しみです。お二人とも、今日はどうもありがとうございました。