「遺産らぷそでぃ」


「菜の花らぷそでぃ」   舞台写真:蔵原輝人

 青年劇場は創立45周年の記念すべき年の9月に第100回公演として、高橋正圀さんの新作、『結の風らぷそでぃ』を上演いたします。

 高橋正圀さんと青年劇場との出会いの作品となった『遺産らぷそでぃ』(1990年初演)では、農民作家・山下惣一さんの著書「ひこばえの歌」を原作に、畑や田んぼの相続をめぐって人々が右往左往する様を、当時の輸入米をめぐる「平成の米騒動」等も登場させ、「農業」という決して華やかではないテーマを見事に舞台化。同じく山下惣一さんの著書「身土不二の探究」を基にした『菜の花らぷそでぃ』(2000年初演)は食品偽装事件や輸入食材の安全性等、枚挙に暇のない程次々と起こる食をめぐる問題に迫り十年にわたって、全国各地で巡演を重ねてきました。今回の『結の風らぷそでぃ』は、この二作品に続く「食」と「農」をテーマにした作品の第三弾となります。

 作者の高橋正圀さんと、農村取材のコーディネイトなど作品づくりにも御協力いただいている全国農民連副会長(福島県農民連事務局長)の根本敬さんに公演への思いを語っていただきました。



小さな農業へ心から愛をこめて
高橋正圀(脚本家)

 このところ、農業の周辺が非常に賑やかである。ちょっと溯るけど、去年初頭の中国毒ギョーザ事件が起こった時は、実はちょっとほくそ笑みましたね。フムフム、これで食品の安全性に対して消費者の関心も高まるのではないか?案の定、そうなりました。食糧自給率が39%という現実にいやおうなく直面させられ、何とかしなければという機運が消費者の中に起こってきました。いい風向きじゃないか、今まで税金ドロボー、国家の寄生虫とそしりを受けてきた農民がまともな評価を受けつつある。限界集落と言われている農村にも、そよ風程度ではあるが、追い風が吹いてきた感じだ。

 そこへ百年に一度の不況である。リストラされた失業者の受け皿として農業・農村は一身に期待を集めた。政府も農水省も自治体もNPOも足並み揃えて動き出した。さまざまな雑誌が特集を組み、「農業の活性化が日本の発展につながる、農業は日本を救う」ときたもんだ。おいおい、ちょっと待ってよ。たった一年前が限界集落だったのに、なんで突然救世主扱いになるの?安直過ぎるんじゃないの?

 時を同じくして、つい先頃「農地法改正案」が国会を通過した。この法案は一言で言うと、今まで規制されていた企業の農業への参入を認めるものだ。そうなれば、食品メーカーやスーパーなどは独自に農作物を栽培、収穫、加工までが自由にできるようになるということで、大規模になれば、コストが削減され、値段が下がれば、消費者は恩恵を受けるかもしれない。耕作放棄地も減り、食糧自給率アップにもつながる。と、一見いいことだらけのように見えるが、実は非常に危険な側面をはらんでいる。農業に大資本の論理が導入されれば小さな農家はつぶれてしまう。農水省は「農業は工場での生産と違って、天候など様々な要素に左右されるから、その専門生がないがしろにされることはない」などと得意な弁解をしているが、今まで猫の目農政を作演出してきた張本人の言い分は眉に唾して聞いておいた方が賢明だろう。

 大資本の論理は、金にならないものを容赦なく駆逐していく。それは、今も農村に残るゆかしい「結」(助け合い)をはじめ、先人たちが何百年もかけて伝承してきた「農の心」が消滅の危機にあるということだ。……と、ここまで書いてきて、今日の朝刊で意外な記事に遭遇した。「企業は農業への参入は及び腰」だというのである。農家は、いい土地は手放さないだろうし、品質の良い野菜を作るには、土壌作りが必要で、それには時間も金もかかる。というのがその理由である。さすがに企業は馬鹿じゃない。ひとたび台風にでも襲われたら生産量はゼロになる事業に投資をするわけがないと納得する。と、すると「農地法改正案」は誰のために立ち上げたのだろう?知識も教養もあるリーダーたちが何日もかけて審議して、誰の為にもならない法案を作るなんて、壮大な無駄というか、まさしく「喜劇」そのものじゃないだろうか?

 農業は儲からないのである。広大な土地を持つアメリカの真似なんて逆立ちしたってできっこない。そのアメリカですら莫大な補助金を投入し、ヨーロッパの先進国も政策はさまざまだが補助金で自給率を上げてきているのが現実である。

 「これ以上米価が下がったらとてもやっていけない」よく聞く日本農民の嘆き節である。ところが辞めない。高齢で体が利かなくなる以外に辞めたという話は聞かない。なぜだろう?ずっと不思議に思ってきた。でも取材をして、金儲けとは別の歓びがあることを知った。人間には、金儲けの他にだって生きる歓びがある。市場原理が崩壊しても尚、バブル再来の幻想に取り憑かれているかのような日本の進路は幸せにつながるのだろうか?小さな農業へ心から愛をこめて、日本の未来に思いをはせてみようと思っております。


食と農を考える壱農民的視点
青年劇場
「結の風らぷそでぃ」に寄せて
根本敬(全国農民連副会長、福島県農民連事務局長)

 私はいま、次の二つのメッセージと「格闘」しながら農村の中で生きている。

 21世紀に生きる私たちはまず「農」についての古典的な「産業分類」を改めることから始めなければならない。農は「育てる」「養う」「守る」という「生存条件」のすべてを満たす。人が農を育て、人は農に育てられる。命を養い、自然を守る。(内橋克人)

 ビア・カンペシーナ(※)第5回総会
 モザンビーク宣言
 現在の危機は、チャンスでもある。
 食糧主権は、長距離食糧運送と工業化された農業という温室効果ガス排出の二つの最大要因を批判し、小規模農民と家族経営農民によって生産された地元の農産物をもって食糧・気候・燃料危機にストップをかける。新自由主義など支配的モデルが「危機」と「死」しか生み出さない一方、食糧主権は、農民と消費者に「希望」と「命」を生み出す。

 長い引用になってしまったが、農民が食料を生産し、それを消費者が「ほとんど当たり前」のように食べる現代って「異常」としか思えない。人類はこの数千年の間に20億ヘクタールの土地を不毛にしてきた。文明の発祥地と言われるところはその多くが今は砂漠。(ナイル メソポタミヤ インダス レバノン杉) そして、現在世界の農地は、15億ヘクタール。毎年600万ヘクタールが砂漠化不毛化している。森林伐採、過放牧、地下水のくみ上げ等々の理由で。人類は、その危機を「認識」できていない。そして、悲しいのは、世界の飢餓人口の8割が農民であること。食料を生産する農民が食えない。農地が減り続ける。アグリビジネスだけが肥え太る。

 農業を「産業政策」だけで括って欲しくないのだ。そのために私は、「自給自足的生活」を模索している。我が家は、今薪で風呂を炊き、来年薪ストーブを入れ、5年後太陽光発電を導入し、東北電力の線を切る。近所の老農夫が語る。「俺たちは、自分が食うために百姓を続けている。」

 「遺産」「菜の花」というラプソディ―器楽曲が、「結の風」にのって消費者が食べ物を単に消費する者から農と食―「いのち」を育む歌い手となり、その歌声が世界中に響き渡る……そんな「希望」を持っている。

※ビア・カンペシーナ(VIA CAMPESINA)

スペイン語で「農民の道」。農産物貿易の自由化が世界の農民に困難を広げるなか、1993年5月、各国の農民運動の組織がベルギーのモンスに集まって発足させた国際農民組織。自国民のための食糧生産を「食糧主権」として提唱し、世界と日本の農民の運動を励ましている。