コンビ10作目に思う 松波喬介
1990年の『遺産らぷそでぃ』ではじめて高橋さんとコンビを組んでから今回で10作目です。この間、20年になりますが私の個人的な思いでは「30年」といいたいところです。
高橋さんのNHK連続テレビ小説『まんさくの花』を見ていたとき「この人は芝居が書ける人ですよ」とおっしゃったのは故・飯沢匡先生でした。それから「一度お会いしたい」「芝居を書いてみませんか」とラブコールをおくりつづけて、やっと「10年目」に『遺産らぷそでぃ』に結実したのです。初演のパンフレットに「高橋さんの強味」という飯沢先生の一文がありますので抜粋します。
「私が氏を高く評価するのはユーモアのセンスを多分にお持ちということである。テレビの作品を殆ど余すところなく拝見しているので、その才能は十分に判っているつもりだ。それに『まんさくの花』でも判る通り農民の生活を十分に把握されているのでリアリティがあり、加えて青年劇場は九州出身者が多く九州の農民の活躍するドラマには、うってつけという強味がある。青年劇場が高橋氏に狙いをつけるのは理論的にいっても的を射ている」「私は一幕目の稽古を見ただけで『これは大当り』と見てとった。ジェームス三木氏の参加も大当りであったが高橋氏を作者として迎えたことも大功績といってよろしい。劇団はよい作者という堅固な防火壁に守られていれば必ず大成功するものである」と。幸い『遺産らぷそでぃ』は好評を博し、全国の演劇鑑賞会や上演実行委員会など8年間300ステージの公演を行いました。
1992年に第二作、池袋を舞台にフィリピーナを主人公に外国人労働者の問題を扱った『キッスだけでいいわ』を、1996年には障害者同士の結婚をテーマにした『愛が聞こえます』を、さらに『銀色の狂騒曲』『菜の花らぷそでぃ』『キジムナー・キジムナー』『ナース・コール』『シャッター通り商店街』『結の風らぷそでぃ』そして今回の第10作『青ひげ先生の聴診器』と、飯沢先生が看破されたとおり、たえず同時代と向き合った作品を生み出して劇団の創作劇路線の重要な一翼を担っていただきました。彼の作風を「社会派人情喜劇」と命名したのは私ですが、現実社会のシリアスな問題を国民の目線から笑いと涙のヒューマンなタッチで描き、全国の演劇愛好家からご支持を得ています。
飯沢先生は13作を書いてくださいましたが、大相撲の「白鵬」ではないけれど更なる健筆を両氏には期待したい。
舞台写真:蔵原輝人