昨年東海・北陸・奈良・九州で三か月に及ぶ巡演を行った「族譜」班、その生活の一端をご紹介します。
皆さんは公演先での休日を劇団員がどの様に過ごしているとお思いですか?貴重なプライベートな時間ですから久しぶりに朝寝をしたり、映画や美術館でのんびりと過ごしたり、遠出をしても基本的には個人単位で行動をします。
しかし「族譜」班では、レパートリーの内容もあるのでしょうが史跡ツアー?も続けられています。一昨年京都での公演の際にはせりふにも登場する方広寺の耳塚(豊臣秀吉の朝鮮侵略の際、首の代わりに塩漬けにされ持ち帰られた鼻耳が何万と埋葬されている)に地元の方の案内で行っています。
さて今回は2カ所で実現しました。12月3日予定より早めに鹿児島より到着した人吉で仕込み前に永国寺へ。ここは幽霊掛軸が伝わる通称「幽霊寺」として有名なのですが、境内に耳塚があるのです。地元の大名相良頼房が朝鮮出兵の際秀吉に進上した1800の耳鼻の霊を鎮めるためのものと伝わっていますが、地元の人にはあまり知られていない様でした。なぜこの寺に耳塚があるのかとご住職に伺うと全国にあると思いますよというお返事…この疑問は後日のツアーで解明しました。
唐津の郊外玄界灘を臨む地に国の特別史跡名護屋城跡・陣跡があります。ここは秀吉の朝鮮出兵に際して拠点として築かれた所です。城の規模は当時として大坂城に次ぐもの、周囲には全国から集まった160余の大名の陣地が設けられました。名護屋浦の一寒村に秀吉の命でわずか半年の後に最大20万人の大都市が出現したのです。
後年城や城壁は破壊されましたが近くには現在県立の博物館があり『過去の史実に対する反省の上に立って…今後の友好・交流の推進拠点となることを目指しています』という立場に基づいた立派な展示が無料でなされています。貸し切りバスを仕立ててホテルを出た12月7日は嵐!それでも公演班は雨にも負けず高台の本丸に立ち、風にも負けずガイドさんの解説に耳をそばだてました。すっかり冷えきった一同でしたが、歴史の舞台に立てたこととその後の道の駅での昼食(イカの生き造りが名物)で大興奮。有意義な一日を過ごす事が出来ました。この日舞台監督と照明チーフは次回コースの公演会場下見のためなんと四国へ…、皆さんお疲れ様でした。