「臨界幻想2011」を全国に!
ふじたあさや=作・演出

 第106回公演「臨界幻想2011」は、5月18日〜27日の13ステージで5300名あまりの方々にご来場いただき、おかげさまで好評のうちに幕を閉じることができました。ありがとうございました。
 昨年の原発事故から一年以上経て、5月5日には全ての原発がストップしたにも関わらず、収拾の方向性も示されないまま再稼働が進められようとする中での上演となりました。日を追うごとに評判が広がり、多数のアンケート、またインターネット上でも様々な感想が記されています。その多くは、作品への共感だけでなく、電力会社や政府の動きに対する不安や怒りを語り、また再演を望む声も多数寄せられました。
 これらの声に励まされ、「再稼働を許さない」「原発いらない」の思いをともにして、私たちは来年2月〜3月期、東京再演とともに全国公演を行うことにいたしました。限られた準備期間での“緊急”公演になりますが、ぜひとも皆様のご協力をいただければと思います。
 全国公演への期待を、ジャーナリストの堤未果さん、福島県在住の詩人で高校教諭でもある和合亮一さん、そして青年劇場全国後援会幹事の高垣章二さんに寄せていただきました。


ジャーナリスト 堤未果

 東日本大震災から半年後、オレゴンで出会った一人の米兵が私に言った。「知っていますか?フクシマ50と俺達兵士は同類なんです。」原発事故直後、高濃度放射線の充満する原発内で復旧作業をした原発作業員達を、海外メディアは〈Fukushima50〉と呼び絶賛した。「僕たち兵士もマスコミに英雄扱いされる。でも実際は大半が貧困ゆえに入隊し、帰国しても生活や医療の保障はない使い捨てです。本当に知られるべき事は決して伝えられず、関心も持たれない。」
 彼の言葉は311で露呈した、原発そのものが持つ闇の深さと重なってくる。私たちが日常生活の中で得る便利さや快適さと引き換えに使い捨てにされる、何十万人という原発労働者たちの存在だ。原子力というエネルギー政策が彼らの犠牲の上に成り立っているという事実は、長い間表に出されずにきた。事故後、脱原発世論が盛り上がり「廃炉」が叫ばれ始めてもなお、全原発廃炉に必要な原発労働者数百万人の存在は見えてこない。この作品は一九八一年、日本が経済成長一色の時期に初演を迎えている。三十年前とほぼ同じ台本で再演された今、観客が半ば結末を体験しているという状況がつきつけるメッセージとは何か。それは原子力村やマスコミの沈黙以上に、思考停止でこの歪んだしくみを支えてきた私達への問いかけだ。311前まで多くの日本人がそうであったように、与えられた情報を疑いもせず信じてきた主人公の母親。だが息子の死に疑いを持った事をきっかけに彼女は変わり始め、原子力村側の企業や医師の言葉を鵜呑みにする代わりに自らの頭で考え、動き、情報を集め続ける。やがて明らかになる真実によって、彼女だけでなく周囲の人間たちも、立ち上がり行動を起こしてゆく。「臨界幻想2011」は一枚の鏡のように、私たち自身の過去と未来を映し出す。目先の利益に狂わされ、弱者をモノのように切り捨てながら暴走する世界で、デジタルではなく人間が人間に伝える事の出来る『芝居』には大きな使命があるだろう。ふじたあさや氏と青年劇場の勇気に心から感謝し、この気づきを大きなうねりに変えてゆきたい。


詩人 和合亮一

 二十代を南相馬市で暮らした。集会などがあると、時折に電力会社の方が説明に来られていた。私はこんなやりとりを、町の人と会社の方が交わしていたのを、今でも覚えている。原子力発電所は、どんなことがあっても大丈夫なのですか。「はい、大丈夫です」。どんなものでも必ず、壊れたりしますよね。本当に大丈夫なんでしょうか。「大丈夫です」。「確かにどんなものにも故障はあります。だけど、原発に関しては絶対に大丈夫です」。さらにどうして大丈夫なのですか…、と質問がある。「世界最高の技術が集まっていますから、絶対に安全です」。今思えば、この時に感じた自信満々なる説明への一抹の不安感を、私はどうしてすぐにこの時に飲み込んでしまったのか。原発爆発後に初めて、〈絶対〉なるものは存在しないと、はっきりと痛めつけられるようにして心に刻まれていくことになるのに。私は全くの愚か者であった。
 「臨界幻想2011」は、すでに30年前にふじたあさや氏が大いなる不安と疑念を舞台化していたものを再演したものであったが、もはやこれらは「再燃」ではなかった。もう一つの舞台といえば良いのだろうか。進行している舞台を鉄の網越しに、たたずみ注視している、出番を待っている一人一人の役者の姿が劇中に絶えず映し出される。このことに象徴されるかのように、今まさに起こりえている現実を私たちもまた目撃している。

撮影:宮内勝
 この視線である。もう一つの世界からの客観的で冷徹なまなざし。そのことをも舞台は描き出そうとしていた。詩人アルチュール・ランボーは、あらゆる世界の惑乱を見続けて詩にそのままに書いていきたいとする「見者」の思想を語ったが、目を反らさず、あますところなく現実を見つめることから、絶対の崩壊を本当に知ることが出来る。原発の再稼働が先日、決定されたばかりだ。私たちの「臨界」は続く。本作のさらなる上演が待たれる。


青年劇場全国後援会幹事 高垣章二

 「臨界幻想2011」は、演劇が、現実の社会を変えていく大きな力を持っていることを、改めて教えてくれました。「3・11」の原発事故とその後の国や東電などの対応は、全く腹立たしいことばかり。30年前の「臨界幻想」の初演や全国公演は一体何だったのかという俳優さんたちの無念な思いが、舞台から響くように伝わってきます。
2013年再演・巡演決定!

<東京再演>
2月13日(水)〜15日(金)
 俳優座劇場

<全国公演>
2月中旬〜3月上旬
 東北・関東・東海・近畿・中国 他

上演についてのお問合せは
製作部まで
 私が住む岡山は、どの原発から見てもほぼ100q圏の外。原発や放射能の問題とは縁遠い地域のように思う人もいます。しかし、かつて鳥取県境近くでウラン鉱石が発見され、放射能を含む採掘残土の処分を巡って県をまたがる長期の紛争となったこと、県東部の瀬戸内海に浮かぶ島に原発建設が持ち上がり、反対運動がおこったことなど、当然ながら原発と無縁な地域などこの国にはありません。とはいえ、無風のように見える岡山での「臨界幻想2011」公演の実現は無理だろうかなどと考えていた折、そのつぶやきが劇団に伝わり、「来年2月下旬なら可能なのだが…」との打診がありました。実行委員会立ち上げについてあれこれ考えていると、今度は「原発を止めたままでは、日本の社会は立ち行かないのです。」と「大飯原発」再稼働を宣言する野田首相の声がテレビから流れてきました。これは、なんとしても頑張るしかありません。
 岡山県内の皆さん、「臨界幻想2011」岡山公演に力を貸していただけませんか。ご連絡をお待ちしています。