ベアテ・シロタ・ゴードンさん逝く

 日本国憲法の制定過程を描き、1998年に初演した「真珠の首飾り」(ジェームス三木=作・演出)の主人公の実在のモデル、ベアテ・シロタ・ゴードンさんが、昨年12月30日にお亡くなりになりました。夫のジョセフ・ゴードンさんが亡くなられて4か月後のことでした。
 「真珠の首飾り」は1998年4月の初演以来2005年まで、東京では4回の再演、全国では71会場109回上演され、7万人を超える皆様にご覧いただきました。ベアテさんは各地で行われた事前の講演会に御出演くださり、上演運動の成功を共に支え、お力添えくださいました。2000年には、ご家族ぐるみで来日して劇団の忘年会にご参加くださるなど、劇団をこよなく愛し応援してくださいました。
 ゴードンさんご夫妻のご逝去を心から悼み、ご冥福をお祈りいたします。



ベアテさんのこと
ジェームス三木

 青年劇場と相談して、日本国憲法の誕生秘話を劇化した『真珠の首飾り』は、ベアテ・シロタさんがヒロインだった。
 初演のとき突然、そのベアテさんがニューヨークから見にくると知らせがあり、私はびっくりし緊張した。もっとびっくりしたのは当日の観客だった。幕が下りて、私がベアテさんを紹介すると、客席は異様な興奮に包まれ、感動の拍手が鳴り止まなかった。

前列中央がベアテ・シロタ・ゴードンさん、その右側が筆者
(1998年「真珠の首飾り」公演後のパーティにて)
 ベアテさんは同行の御主人ゴードン氏とともに、にこにこと舞台に上がり、流暢な日本語で挨拶した。
 「私はあんなにスパスパと、タバコを吸いませんでしたよ」
 劇中にも登場するゴードン氏は、ベアテさんとGHQ民政局の同僚であり、日本国憲法草案が縁で、結ばれたのである。
 その後、ベアテさんは何度も講演で来日され、私の家にも気さくにいらして、シャンパンを飲んだり、食事をしたりした。壁に掛けてあった伊東深水の美人画を見て、これはドガの〔踊り子〕と構図が同じですねと、鋭い指摘をされた。ベアテさんは棟方志功をはじめ、日本の芸術家をアメリカに紹介した美術評論家でもあった。

「真珠の首飾り」撮影:蔵原輝人
 「ベアテさんが書いた憲法二十四条男女平等の条項で、日本の男はだいぶ損をしました」
 ある催しの対談で、私が軽口を叩くと、
 「それは本心ですか? それともジョークですか?」
 と真顔で返され、うろたえたことを覚えている。ごめんなさいベアテさん。