坂手洋二=作 藤井ごう=演出 2012年11月〜12月

「普天間」全国公演

福生/所沢/甲府/名古屋/泉佐野/堺/八尾/高槻/大阪/大津/
奈良/松山/高知/岩国/読谷/名護/うるま/宜野湾/那覇


「ありがとうございました」
2012年「普天間」全国公演製作担当 杉本光弘(俳優)

 沖縄復帰40年を見据えて実行委員会形式で取り組んでいただいた「普天間」初の全国公演は、12月21日の沖縄県那覇市の公演をもって、無事終了することが出来ました。横田基地のある東京の福生市から始まり、内地ではあの岩国で終え、沖縄五市村まで全部で19カ所20ステージの公演でした。各地で青年劇場を支援して下さっている方々、あるいは、この公演の企画に共感してくださった皆さんの多大なる協力を得て実現し、約9000人の方に観ていただくことが出来ました。演劇を通じて、沖縄との大きな連帯の輪が出来たのだと思います。これは、一昨年の初演時、多くの方達にこの「普天間」を観ていただけたことがそもそものスタートになっていると改めて感じています。

 さて、沖縄公演ですが、おかげさまで「普天間」の舞台である沖縄の方達に、大変、熱く、温かく迎えていただきました。今回の全国公演の製作担当者として沖縄に同行した私は、終演後のロビーで、多くの方達に握手を求められました。私の後ろには今回の公演の実現にご尽力いただいた多くの人たちがいるということを感じながら、そして、その苦労が報われたのだなと思いながら握手を返していました。

 多くの方の努力によって実った全国公演でした。各地で頂いた感動を力に、今秋の九州、近畿、神奈川での公演に臨みます。


青年劇場「普天間」沖縄公演の意義
強さ増す沖縄 立ち位置を再確認

松元剛 (琉球新報記者・政治部長)


米軍ヘリ墜落事件のあった沖縄国際大学。事故の痕跡を残す焼け焦げたアカギの前で説明を受ける公演班。

 「普天間」の初演を紀伊國屋劇場で観て1年3ヶ月がたつ。沖縄に寄り添う精緻なストーリーに何度もうなずき、ひざをたたいた。初演の残像を浮かべながら、沖縄での最終公演を観た。

 上演時間が絞られ、展開がスピーディーになっただけでなく、何かが変わった気がした。それは、沖縄社会の地殻変動であり、私自身を含めた、観る側の県民の意識なのだろうと思った。基地をめぐる不条理に対し、沖縄社会は敢然と異議を唱え、後戻りしない強さを確実に増している。

 昨年10月1日、普天間飛行場に、ヘリと固定翼の両方の機能を併せ持つ不気味な機体が降り立った。流行語大賞にもノミネートされたあの垂直離着陸輸送機・オスプレイである。

 沖縄県知事、県議会、全41市町村長と議会がこぞって反対し、10万人余が集まった県民大会まで開いた。民主主義の手立てを尽くした、オール沖縄の反対の声を日米政府は無視した。

 わずか半月後には、沖縄に出張に来た海軍兵2人による女性レイプ事件が起き、県民の怒りは臨界点を超えている。沖縄の近現代史は、自らの将来を自らの意思で決めることが許されてこなかった陰影が濃いが、あまりにもウチナーンチュの命の重さを軽視して恥じない日米政府に対し、党派を超えた県民の結束がかつてないほど強まっている。沖縄社会の意識は政府との闘いの領域に入ったように思う。

 こうした時期に基地の島で「普天間」が上演された意義は大きい。観客の一人一人が沖縄の立ち位置とこれからの道標をどう定めるかを深く考え、「何くそ、負けるか」という思いを宿して家路に着いたはずだ。

 高校生の時に自宅で米兵に襲われた過去を語った「比嘉由紀」。私の妻を含め、息をのむような告白に見入った周囲の観客の多くがハンカチを目に当てた。

 米兵による性被害の連鎖を断ち切りたいと、自らが高校生の時、米兵に襲われたつらい体験を語り継いでいるA子さんの姿を客席で見かけた。「とてもよかった」と話していた。


12月21日、那覇での千秋楽公演終了後のおつかれさま会。 沖縄各地実行委員会の皆さんもかけつけてくださいました。

 打ち上げに招かれた際、比嘉を熱演した大月さんに伝えると、大月さんの目から大粒の涙がこぼれ、「嬉しいです。沖縄の皆さんがどうご覧になっているのか、沖縄の苦しみをどれだけ理解できているのかをずっと考えていた。覚悟がいる舞台だった」と話していた。

 沖縄の不条理に寄り添い、役者として、人間として感性の全てをぶつけて演じきった青年劇場の皆さんの思いは、ウチナーンチュにしっかり伝わった。

 2013年は全国でさらに多くの公演がある。県内移設圧力を強める新たな政権が誕生し、普天間問題は剣が峰を迎える。沖縄のあえぎと血の出るような訴えへの共感が「普天間」を通し、一層広がることを期待したい。