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今から六〇年以上前、憲法九条の「戦争放棄、戦力不保持」という大いなる人類の理想を掲げた平和主義理念の下にありながら、米国の戦略によりナショナル・ポリス・リザーブ(国家警察予備隊)構想が立てられ、警察予備隊が設置された。すぐさま、憲法の禁ずる戦力、軍隊ではないかという疑念から、国会では「警察予備隊とはなんですか?」という質問が出た。政府の担当者は「警察のいわゆる予備隊です」という答弁をした。こんな答弁であれば、誰でも答えられる。
普天間問題とはなんですか?今まさに問われているのは「いわゆる普天間の問題です」というようなものでないことは百も承知であろうが、それにもかかわらず、「普天間の人々は大変ですね」で終わることが多いのが現状である。
普天間問題は、普天間の問題でもなければ、沖縄の問題でもない。切られれば赤い血の噴き出る人間を、自国の利益(と考えているもの)より優先して、どこまで傷つけずに、尊重しなければならないか、という重要な課題を突き付けている問題である。これは個人の尊厳をうたう日本国憲法の最も根底にある理念である。普天間の固定化を通告してきた米国が、とてもではないがこの理念を共有しているとは思えない。日本政府はどういう姿勢を取るべきか自明であるが、おそらく、突き付けられた問題を理解しない態度で臨むであろう。
普天間問題は沖縄戦以前から、「政府の行為により」生身の人間が犠牲にされてきたロードマップの上に未だある問題なのである。「普天間」から、ぜひ沖縄の鼓動を見出して、課題に迫ってほしい。