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◎もりわき きょうこ
私の実家は、緑と清流に恵まれた兵庫県の田舎町にある。時折、ままならない現実に疲れ果てて帰省すると、十年一日、変わらない景色が両手を広げて迎えてくれる。私は、肩の力を抜いて、深く息を吸う。するとギスギスしていた心が、ゆっくり癒されていくのを感じる。年を重ねるにつれ、そんな“故郷”への思いは深くなる。
昨年、12月某日、郡山から、二本松、福島、飯坂、南相馬など、取材して回った福島県の町は、私の故郷の風景にとてもよく似ていた。殊に、なだらかな山に囲まれた盆地で、農業や酪農が営まれている村は、自然と人間が美しく共存する“里山”の風景そのものだった。…にもかかわらず、私は深呼吸が出来なかった。それどころか細菌遮蔽率99%のマスクをつけ、帽子を被り、放射能の線量計を携えていた。間もなく雪になった。雪の舞い散る里山の美しさに、思わず息苦しいマスクを外しかけた。が、その瞬間、線量計の数値が一気にはね上がるのが見えた。今、呼吸している、この空気の中に、確実に見えない脅威が潜んでいる。どんどん激しくなる雪は、ゴーッという音を立てて吹きすさぶ強風にあおられ縦横無尽に空中を舞った。その自然の猛威は、寡黙な“故郷”の慟哭のようにも思えた。
昨年の春、避難区域にも満開の桜が咲いた。今年の春も、桜は咲くのだろうか。一昨年の桜とは、その“命”は似て非なるものなんだろうか。桜の国に生まれ、里山を原風景に持つ私たち日本人は、今、覚悟と選択を迫られている。