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「まさか、現実になるとは……!」
三〇年前の『臨界幻想』で、福島第一原発の事故を予見したけれど、本当にその通りになるなどとは思っていなかった。チェルノブイリの事故が起きた時にも、「安全などというけれども、やっぱり事故は起きるじゃないか」と思ったが、「あれはロシアだから起きた事故で、日本は原子炉の型もちがうし、安全だ」といわれると、半信半疑ながら「そうかな」と思わせられてきた。それが真っ赤な嘘で、本当のことを言うと莫大なお金をつぎ込まなければならなくなるから、想定しなかったことにしようという悪巧みの上に成り立った「安全神話」だったのだとわかってみると、怒りを通りこして吐き気がする。事故後の、混乱を避けるために事態を隠し通して、多数の生命を奪った(奪いつつあるかもしれぬ)行政と企業の無責任さも併せて、いつのまに日本人は人間でなくなってしまったのか、といいたくなる。予算オーバーの責任を取らされたり、混乱の責任を取らされたりすることを回避するために、あろうことか国民の生命を犠牲にする、こんな情けない国家が今までにあっただろうか。チェルノブイリに学ぼうとしなかった傲慢さも、批判しなければならない。
三〇年前の取材の時に、これで事故が起きなければ不思議だと思って、「臨界に達したと思ったのは実は幻想でしかないのではないか」という疑いから『臨界幻想』と題したのだったが、こうなってみると「臨界」は本当に幻想になってしまったと思う。ここでいう「臨界」は、原子力発電の時代がやってくるということの象徴だった。そんな時代が来たと思い込んだのは、錯覚だったのだ。大体、たかがお湯を沸かすためだけに、どうして核分裂を起こさせる必要があるのだ。原発を推進することで、得をする誰かがいるのだろう。
師匠を持たない僕にとって、青年劇場での四作品に及ぶ千田先生との出会いは、貴重な体験だった。今は千田演出を引き継ぎつつ超えることが、ご恩返しになるのだろうと思っている。