「あの夏の絵」

福山啓子=作・演出

 2015年12月初演の「あの夏の絵」は、昨年秋に全国公演がスタート。スタジオ結での再演をはさんで、子ども劇場の例会公演や、首都圏の実行委員会公演、そして作品のモデルである広島市立基町高校での公演など、多様な公演を行いました。また今年からは文化庁「文化芸術による子供の育成事業」公演も始まります。これからもさらに多くの方々に出会えることを楽しみにしています。

村上正晃(広島平和公園ボランティアガイド)

 私は現在広島の平和記念公園でボランティアガイドをしています。最初は英語の勉強になるかもと軽い気持ちで始めたのですが、ガイドの方や被爆者から話を聞き自分の無知を知りました。大学卒業後、現在は夜アルバイトをしながら昼間はボランティアガイドを続けています。

 2015年、出演者が平和公園を訪れた際、村上さん(右端)にガイドをして頂きました。
 実は2015年この舞台を作る為に役者の方々が事前に広島に来られた際自分が平和公園を案内をさせてもらいました。とても熱心に聞いてくれたのを覚えています。今回その方々の舞台が見られるということでとても楽しみにしていました。
 舞台の中で特に印象に残っているのは、東京から引っ越して来たナナが被爆体験を聞き、あまりの強烈さに心を乱されてしまう場面です。
 「聞かなきゃ良かった。聞いてしまったら戻れないし!」
 自分もこの気持ちがよく分かります。広島出身で小さい頃から原爆について学び知ったつもりでしたが、忘れていたり自分には関係ないことだと思って真剣に考えてきませんでした。
 大人になって改めて原爆を学び、被爆者の話を聞いた時にナナと同じように感じました。知ったことを知らなかったことには出来ない、知ったからには伝えないとと思いガイドをしています。
 しかし直接話を聞くのは被爆者の高齢化が進む中で簡単なことではありません。舞台の中では多く被爆体験が語られており、まるで本当の被爆者から話を聞いているような感覚を覚えました。このような被爆体験の継承の形もあるのだということを知りました。また、原爆の絵を描いた生徒たちのように、この舞台を演じる役者の方々自身も原爆と向き合うことになると思います。
 至る所に原爆の実相や被爆者の感情・そして現代の問題が散りばめられており、多くの事を感じ考えるきっかけになりました。被爆者が高齢化・減少する中、経験者ではなくても伝えることが出来るという証明になると思います。ただ、起きたことを、自分ごととして捉え、今やこれからにどう生かせるのかを考える事が、見る人に課せられた課題です。これは1つの継承の形ですが見た人が「見たからには伝えたい、伝えなければならない」と感じて初めて原爆を伝えるということになると思います。この舞台を、もっと多くの方に届けていってほしいと思います。



受賞おめでとうございます



 日本版ピュリッツアー賞と言われる「平和・協同ジャーナリスト基金賞」(第23回)奨励賞に、「あの夏の絵」のモデル、広島市立基町高等学校の「被爆者の体験を絵で再現する活動と10年間の作品集」が選ばれました。12月9日の贈呈式には、「あの夏の絵」作・演出の福山啓子他がお祝いにかけつけました。
 奨励賞には他に、「雲ヲ掴ム」公演でご協力いただいた東京新聞の望月衣塑子記者の「武器輸出及び大学における軍事研究に関する一連の報道」も受賞、また「『事件』という名の事件」で台本監修をして下さった梅田正己氏の「日本ナショナリズムの歴史」全4巻(高文研)が審査委員賞を受賞されました。
私たちの作品と関わりのある皆さんの受賞が嬉しく、また誇らしくも思えたひとときとなりました。